| 12-0034 | |
| ◆君が代 ◆薔薇 ◆12年02月01日 18:35 | |
| 君が代斉唱に起立しない教員にも困ったものだ。オリンピックで聞くと胸にジーンと来る。祝日に日の丸の旗をあげる家もあるが、いいものだ。君が代と日の丸の旗は大好きだ。カムイ様のご意見に大賛成です。 | |
| 12-0033 | |
| ◆君が代 ◆カムイ ◆12年02月01日 16:34 | |
| 君が代斉唱に起立しなかった教員の最高裁判決をめぐる投稿で、戦争中の 悲惨な思い出から、君が代を否定するような投稿もあった。 私は、君が代 を尊重する意見の側です。 君が代の歌詞が皇統史観だなどと考えて反対 するのは考えすぎではないでしょうか。 私は、国歌としてなじんできた。 オリンピックで優勝者に演奏されたときなど、嬉しく感じる。 国民の 素直な気持ちと思うのだが。 | |
| 12-0032 | |
| ◆よもやま話 ◆鵜戸 ◆12年02月01日 14:39 | |
| 先日私の従兄弟が87歳で亡くなりました。4人兄弟 上二人が女、下二人が男で丁度皆2歳差です。亡くな ったのは長女です。一家は満州奉天(今の藩陽)で昭 和21年佐世保に引き上げて来ました。丁度長男が16 歳で日本で少年海兵隊にいて一家の引き上げを佐世保 まで迎えに行ったそうですが何と上二人の女の子が丸 坊主だったのでびっくりしたそうです。一家もソ連侵 攻で命からがら逃げたようですが当時上二人の女の子 は年齢20歳前後しかも身内の自慢ではないのですが、 美人で早速長男が姉さん達がどうやって難を免れたの か聞いたら逃亡生活は楽しかったと答えたそうです。 当時のソ連侵攻は今やNHKBSの開拓者のドラマや 映画人間の条件等で悲惨、絶望の極まりないドラマと して扱われていますが、この話しを告別式で長男が姉 の思い出話しとして聞かして呉れて絶望や苦難の中で もそれを素直に受け入れ進んで行けば楽しくなるのだ なと一筋の光みたいな物を感じました。 | |
| 12-0031 | |
| ◆冬の川 ◆ヒロミ ◆12年01月31日 20:36 | |
| 夕方になると川の両岸を1時間ほどウォーキングとジョギングする。橋の上から川面をしばらくみていると寒い中でも時折きらきらとシラハエが腹を見せる。目を凝らしてよく見ると岸辺の方に群をつくっている。少しうれしくなって上流へ行くとよく見る白鷺ではなく珍しく鴨が3羽泳いでいた。最近川鵜は姿を見せない。川底には汚れたような藻がびっしり揺らいでいる。冬の川はみていても寂しい。北海道などの雪解けの清流には程遠い。川の宝石といわれるかわせみは1年中姿を見せない。洪水の心配のない小川まで護岸工事をやってしまって、岸辺は背の高い雑草でびっしり、あげく布団などのごみまで捨てる輩がいる。美しい川のためのボランテイアでは追いつかない。100億あればなんとかなるだろうが、夢のまた夢である。 | |
| 12-0030 | |
| ◆雪山 ◆カムイ ◆12年01月31日 13:44 | |
| 雪運び、家のまわりの雪を、スノーボートに積んで、200m ほど 離れた公園まで運ぶ。 かなりの重さだが、これを引いて走って 行く。 ランニングの練習と思って。 雪を運んでくる人々は、公園 の入り口近くから向こうへ積んで行く。 私は初めから、公園の中央 まで道をつくり、50m ほど遠くなるがそこまで運んだ。 運ばれた 雪は山になる。 一人で積み上げた台地がかなりの高さになった。 ”カムイの丘”と名付ける。 春先、雪解けの頃、最後まで冬の名残 を留める。 運ばれた雪は嬉しそう。 丘に立って、昇ってくる朝日を迎える。 | |
| 12-0029 | |
| ◆楓子さん ◆カムイ ◆12年01月29日 16:36 | |
| 一つ、一つ、胸にささるお言葉です。 ゆるがぬ信念、硬骨の士、一徹な 心、は少なくなりました。 世の中の進みが、合理性、柔軟な対応を求める からです。 成らぬことを、強いて押せば破綻を招く。 だからと言って、 何もしないで見送るのは、大和男の子のすることではありません。 成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり 成らぬことに対応するには、息の長い努力を続けなければならない。 人々が、日本のよき心を大事にして、次代へ伝えることです。 | |
| 12-0028 | |
| ◆参考 ◆楓子 ◆12年01月28日 20:57 | |
| 諸兄の長文エッセイのご意見拝聴しております。そこで私見を一つ、幼いながら先の戦争前後を見ていましたが兵隊に行った三人の兄、先生、町の有力者等々20/8/15を境に恥も外聞もなく豹変、鬼畜米英と言っていた大人がアメリカさま様、その貞操観念抜群の大和撫子がパーマをかけてパンパンに変身、追いつけられた憲法に何の疑問も抱かず70年アメリカのポチ、独立国家としての矜持を失い拉致や固有の領土問題でも、平和平和国連国連と唱えてのこびへつらい外交、マスコミや評論家自称識者は政治家の悪口ばかり確かに、故山本夏彦氏は「馬鹿が3人集まれば三馬鹿になるだけ」と論評していました。この辺で国家100年を見据えた大政治家が出現しないものか? | |
| 12-0027 | |
| ◆歴史 ◆カムイ ◆12年01月28日 19:24 | |
| 歴史の流れを、後の世のなってから変えることはできない。 だが、 それを知ることが、これからの世の中の進むべき道に活かされなけ ればならない。 正しい判断をすることと、これからの世の中の ためになる解釈をすることも大事と思う。 国交も、歴史から学ぶことがあると思う。 | |
| 12-0026 | |
| ◆北方領土と尖閣諸島 ◆ヒロミ ◆12年01月28日 17:43 | |
| 北方領土も尖閣諸島の問題も、気の弱いやさしい子どもがワルのガキ大将に「僕の物ですから返してください」と言っているようなもので常識的な意見は通用しません。こうだから、これが正しいと国際的に平和的に決めることができれば理想ですがそれを実現できる人物が現れることはないでしょう。もう、戦争をする時代ではないのに軍備の増強を続ける国があります。核ミサイルの恐怖もあります。戦争をする時代ではないからこそ、政治家が高い使命感を持って対応するしかありません。それができる政治家はプロスポーツ最高年俸を超える収入を得てもいいのです。その平和的交渉力が国民を救うと思うからです。 | |
| 12-0025 | |
| ◆ソ連 ◆カムイ ◆12年01月28日 13:44 | |
| シベリアに抑留された将兵は、どんなことがあっても生きて祖国へ、と 言う執念が命を支えたのだと思う。 それにしても、不可侵条約を破り、武装解除した軍を、不法に抑留し、 強制労働を強いるソ連の横暴、信義のなさ。 日本はソ連と戦って いないのに。 勝者(ソ連は勝者なのか?)は敗者に何でもできると 言う前時代的な考え、国際法を知らない無知な国。 この国とは 仲良くできない、と日本人の気持ちでした。 | |
| 12-0024 | |
| ◆吉田正作曲 ◆ヒロミ ◆12年01月28日 11:31 | |
| シベリア抑留時、吉田正が作曲したそうです。多くの兵士が歌い元気付けられたと思いますが、私なら20歳代でも生き延びることはできなかったと思います。 | |
| 12-0023 | |
| ◆からオケ ◆カムイ ◆12年01月28日 04:07 | |
| 私は、からオケで歌うことも好きです。 レパートリーはかなり広く、 なつメロも歌います。 ”異国の丘”は、NHKのど自慢コンクール で合格してから一般に歌われるようになったが、シベリアに抑留された 兵士の間で歌われていた歌のようです。 少し後では、”岸壁の母” など、 シベリアものは、涙をさそうものでした。 軍歌も歌います。 歌える場では。 高齢者層では、同調してくれる人がいるから。 | |
| 12-0022 | |
| ◆異国の丘 ◆薔薇 ◆12年01月27日 20:36 | |
| 今日も暮れゆく で歌いだす、この歌には哀愁がありますね。中学3年の音楽の時間に歌唱のテストがあって、私はこの歌を選びました。この歌は、ラジオでNHKののど自慢(聞いてた)で初めて歌われ、合格しました。それから世に知られ歌いつがれました。今でも風呂につかりながら歌っています。 確かに軍歌を歌う人や場所がなくなりました。私は車に演奏だけのカセットを積んで時折聞いて楽しんでいます。 | |
| 12-0021 | |
| ◆軍歌 ◆ヒロミ ◆12年01月27日 16:36 | |
| 私は飲み会のカラオケでは、シベリア抑留の「異国の丘」特攻隊員であった鶴田浩二の「ああ紅の血は燃ゆる」が好きでよく歌います。特攻隊員に関する本では何度も涙がでました。学徒出陣や沢村投手など、なんと有為な青年が散っていったのかと思います。そういう中にはノーベル賞を取れた学者もオリンピックの金メダリストも王や長島以上の選手になれた青年もいたでしょう。そうした先人の犠牲のもとに今の日本があるわけです。軍歌を歌うと馬鹿にする人もいますが私はそれでも歌います。戦争は嫌いですが戦死をされた方を尊敬しているからです。 | |
| 12-0020 | |
| ◆カムイ様へ ◆薔薇 ◆12年01月27日 13:46 | |
| 貴殿と同時代にひもじい思いをしたのですね。農家の子は白米で私は大根や芋を混ぜた弁当で、とってもやな思いをしたものでした。今は飽食時代でグルメとか云って本当にいい時代になりました。食べ物を残す人が多いですが、私は外食してもきれいに全部食べます。ひもじい時代の習慣でしょうか。終戦後兎を20匹ほど飼っておこずかい稼ぎをしたことは今は懐かしく思い出されます。又 中学時代には 陸上競技で砲丸投げと走り高跳びの選手で市内6校の競技会に於いて、砲丸投げで優勝したこともよい思い出です。苦しい時代でも何か楽しいことを見出したのですね。 貴殿の思考や意見には、いつも敬服しています。 | |
| 12-0019 | |
| ◆薔薇さん ◆カムイ ◆12年01月27日 11:20 | |
| 国を愛する心、人を愛する心。 花を愛する心と同じです。 薔薇さんが、戦争でひどい被害を受けた気持ちは理解できます。 私も 空襲で家を焼かれ、ひもじい思いで育ちました。 それにもまして、国 が敗れたことは悲しかった。 ミッドウエー、ソロモン、レイテ湾沖、 沖縄戦線と相次ぐ悲報が伝えられても、敗戦までは心に張りがあった。 この戦争を、無駄なことであったと言っては、亡くなった多くの将兵に 申し訳ない。 国は敗れても、日本の心はなくすまいと心に誓った。 戦後の教育は、戦争を起こしたことが悪いと、当時の軍部指導者に、 すべての罪を負わせ、自己の責任を思わないようにした。 戦争は、 限られた軍部指導者だけによって起きたのではない。 時の推移が、 誰にも戦争を回避させなかった。 戦犯と言われた人々は、戦争を起こした罪で裁かれたが、自らは、負けた ことの責を負って死んで行ったのです。 敗戦を重く受け止める私の心もご理解下さい。 | |
| 12-0018 | |
| ◆リーダーの責任 ◆ヒロミ ◆12年01月26日 20:54 | |
| 企業でもトヨタをはじめとする大企業は海外進出の企業実績のみならず国内の空洞化の問題などにも取り組む責任があります。オーナー会社の社長は社員全員の生活を支えていく責任があり利益を上げなければならないのは当然です。しかし、昔から、従業員は使い捨て、待遇アップを考えるときりがないといった社長もいます。名古屋に5億以上の資産家が約5000人いるそうですが大半はオーナー社長だということです。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」という交通標語がありましたが「短い人生そんなにためてどう使う」というのはひがみでしょうか?米国や中国など貧富の差が異常に高い国があります。日本は「総中流家庭」を目指してきました。それが理想ですがどうなっていくのでしょうか?少なくとも国のリーダーは適材を選ばなければなりません。国民全ての責任です。 | |
| 12-0017 | |
| ◆薔薇さん ◆カムイ ◆12年01月26日 16:04 | |
| 私の考えだから、人に強要することではありません。 国と国とが 戦ったのです。 私達も戦っていたのです。 そして負けた。 国が 負けたことは私達も負けたのです。 その責任を他に求めることはでき ない。 負けた責任が国民にはないと言えるでしょうか。 言えたと しても、敗戦国民の責めは負わされるのです。 昔、戦いに敗れた国の民は殺されるか、奴隷にされた時代があった。 今回もシベリアでは、奴隷にされた。 抑留、強制労働。 戦争に負ける ことは悲惨なのです。 だから戦いは勝たねばならないと皆考えていた。 戦中と戦後では、国民の考えが変わった。 だからと言って、過去を全部 捨て去ることはできない。 戦中から生きてきたものの考えとお断りしました。 | |
| 12-0016 | |
| ◆再びカムイ様へ ◆薔薇 ◆12年01月26日 13:21 | |
| 企業に於いてもトップやリーダーが責任を持って営業利益を伸ばなさなければならない。私は在職中事業所のリーダーとして右肩上がりの業績を上げ続けた。若し赤字に転落すれば責任をとらねばならない。その時一般の社員に責を負わせることはまず考えられない。 戦争・敗戦も政治や軍部の指導者に責任があり、マスコミに言論の自由を統制して、国民には真実を知らせずに、3月9日の関東大空襲 広島、長崎への原爆投下へと進んでしまい敗戦に至ったのである。貴殿の自分たちは被害者であり責任はないのだと考えることが私にはできない。と云う個人的責任感には敬意を表します。しかし責めは日本国民すべてが負うべきものと云う意見には賛同出来ません。 東京裁判でデス バイ ハンギングと東郷さんが宣告されたときは、少しおかしいのではないかと思ったものです。付記します。 | |
| 12-0015 | |
| ◆カムイ様 ◆ヒロミ ◆12年01月25日 23:18 | |
| 横から口出して失礼しました。深い思いを胸にずしりと感じます。ありがとうございました。 | |
| 12-0014 | |
| ◆薔薇さん ◆カムイ ◆12年01月25日 22:45 | |
| 戦後、敗戦国民は皆苦しい思いをしました。 自分たちは被害者であり、 責任はないのだと考えることが私にはできない。 国は敗れ、自分は その国民なのだから。 戦中、国民は皆勝つことにつとめ、そのように 指導されたとは言え、大東亜共栄圏のためと名分をたて、武器をもた ないものも、意識では戦っていた。 戦後、占領軍の指導によって、 軍部指導者だけに責任があったと、考えを変えたのは、節操がない 気がする。 戦争はよくないことだが、起こってしまったのは、双方の 国に言い分があり、一方的に正義があるとは言えない。 だが、勝てば官軍、勝った方が正しいことになる。 日本は負けたのです。 正しくない国の国民に責任がないとは言えない。 戦中から生きてきたものの考えです。 | |
| 12-0012 | |
| ◆薔薇さんへ ◆ヒロミ ◆12年01月25日 22:27 | |
| カムイさんの国民全てが負うべきというのは、責任と言う意味ではなく、あの戦争は日本人全てに降りかかった大災難であり日本人全員の問題と、深い意味で書いておられるものと理解します。戦争に突き進んだ要因はいろいろな書物に書かれています。米国の国力を知る外交官、軍人の一部は戦争をやってはならないと努力したが国全体の勢いで突き進んでしまった。すなわち、政治家、高級官僚、など影響力のある者の多くがそうであったら、マスコミに正しいことを正しいと言う勇気や見識があったら避けられたかも、しかし、戦争をしてはならないと言った人は少数でしかなかった、それもトップクラスではなかったし、軽々しく口にすれば非国民、暗殺という空気がみなぎっていたのかもしれません。今で言う民意は戦争遂行にあったかもしれません。当時の一般国民に国際情勢などわからなかったでしょうから、いずれにせよ、さまざまな要因が悲劇をうんでしまったのでしょう。 | |
| 12-0011 | |
| ◆カムイ様へ ◆薔薇 ◆12年01月25日 21:12 | |
| 貴殿の考えや意見にはいつも尊敬の念をもって拝見しています。しかし本日の敗戦は、国民全員が負うべきとのご意見には賛成しかねます。我が家は東京で焼け出され片田舎の親戚に身をおくはめになりました。近所では身内を亡くした人も多く、私は国民の多くは被害者だと思っています。戦争の責任は東京裁判で裁かれた人達に多くあるのではないでしょうか。 地方で怖い思いや被害を余り受けなかった方にはご理解いただけないかも知れませんが。 敗戦の玉音放送を聞いた時は涙を流している人もいましたが、ほっとしたのも事実です。しかし敗戦後食糧難で親は衣服や蓄音機等を食糧に変えなんとか耐えしのんだのです。高校に進学できなかった人は80%を超えていました。私は恵まれていました。あの苦しい経験をした者には到底敗戦が国民の責任であったとは思いたくありません。 ご理解いただけませんでしょうか。 | |
| 12-0010 | |
| ◆新制中学時代の数学教師 ◆とほる ◆12年01月25日 21:07 | |
| 「マッカーサーに負けて俺はコンチクショウ、コンチクショウと思っておまえ等を教えているんだ。馬鹿げた戦争をしろと言っているわけではない、科学の力で鬼畜米英(確かにそう言いました)に勝たなくてはならない。」この迫力に圧倒されみんな勉強しました。新制中学3年でサインコサインまでいきました。子供や孫に言っても笑われるだけですが。 懐かしいこの先生は海軍中尉でした。 | |
| 12-0009 | |
| ◆中学校時代の英語教師 ◆ヒロミ ◆12年01月25日 20:00 | |
| 坂の上の雲の話題をみて、中学2年の頃の英語教師をおもいだした。授業の合間合間に雑談と言うか子ども相手にいろいろなことを言うのが好きで、ある時太平洋戦争が第二次、第三次世界大戦が必ずおこる。といっていた。 その時嫌なことを言う先生だと思い内心そんなことはないと反発した。平成の世、もう日本が宣戦布告などという事態は考えられない。しかし、いまだにテロあり独裁あり、領海領空侵犯ありの他、原発事故あり、世界大不況ありで極めて不安定な国内外の情勢である。良識とか信義誠実とか通用しない国がある。政治家や高級官僚、マスコミも世のため人のため、真摯に努力してもらわないと孫の時代が心配でならない。世界の悲劇を見ることなく死にたいものである。 | |
| 12-0008 | |
| ◆空威張さん ◆カムイ ◆12年01月25日 18:09 | |
| 私の文が乱暴過ぎるとは、非難されたものと受け取ります。 (意見の 反論ではなく) 私は私見を述べただけで、それが正当だとは言って いません。 戦争の悲劇を多く書き、私が戦争を肯定しているような 非難のされようですが、私も戦争を肯定しません。 だが、起きて しまったときは、最善を尽さなければならない。 日露戦争は勝利の形で終わった。 太平洋戦争は敗戦となった。 国運を担うものは最善を尽すのが当然な勤め、東郷提督が間違っていた とは言えない。 太平洋戦争は敗戦となったが、他人ごとではなく、我々 が負けたのです。 指導者の誤り?、我々の指導者なのです。 敗戦の責めはは日本国民すべてが負うべきもので、自分は関係ないような 批判はできません。 | |
| 12-0007 | |
| ◆蓮華さんへお礼 ◆空威張 ◆12年01月25日 16:31 | |
| さっそくやってみました。 一回で成功しました。 どうもありがとうございました。 | |
| 12-0006 | |
| ◆空威張さん書き込みの消し方 ◆蓮華 ◆12年01月25日 15:21 | |
| 掲示欄のパスワードの窓に書き込み時のパスワードをいれ削除ボタンで消えますよ。 | |
| 12-0005 | |
| ◆私も一言 ◆空威張 ◆12年01月25日 09:49 | |
| 昨年12月30日のカムイさんの日露戦争対する意見にいささか異論を述べさせていただきます。 何の根拠もなく国運を担う提督が勝算のない冒険をするとは思われないという推論から始まる論理は乱暴すぎます。 去る太平洋戦争では国運を担うべき人たちに破滅の崖っぷちまで 連れていかれたことを忘れてはいけません。 また司馬遼太郎さんの日露戦争は勝算がなく、なすべきでない戦争でなかった、という意見にも、勝ったのだから必然の結果であると述べられております。 しかし、私は戦争には、理科学理論や、自然現象のような必然はありえないことと思っています。なぜなら戦争は愚かな人間が引き起こした社会事象だからです。したがって未来に対す先見のめいと強い意志があれば、複数の選択肢は常にあったのです。 一つの例を上げましょう。ポツダム宣言の受諾を迫られた昭和20年7月26日の閣議では紛糾し総理大臣の裁定で拒否ということになりました。その後情勢の変化により再度の閣議でも決着がつかず、昭和天皇の聖断を仰いで始めて受諾ということになったのが14日です。 ではその間にどんなことがあったのでしょう 広島・長崎に原爆投下 死者30万人 ロシア参戦、その結果シベリアで強制労働により、推定死者34万人 少なくともこの人たちは、27日に別の選択をしていれば、自分たちの危うかった運命に気づかず、私たちと碁を打って老後を楽しんで いたかも知れない人たちです。 戦争には、その発生においても、過程においても、複数の選択肢が常にありました。太平洋戦争の悲劇は、その正しい選択のできない人たちに国運を委ねてしまった結果だと思っています。 パスワード登録と、本欄への書き込み方法なかなか習得できず時間がかかりました。今見ますと私の練習のつもりのものがそのまま 書き込まれています。事務局へお願い。12-0003見苦しいので削除願います。 | |
| 12-0004 | |
| ◆シラハエその後 ◆ヒロミ ◆12年01月24日 12:56 | |
| 無職になった夏、子どもの頃よく遊んだシラハエ釣りをやり計10匹くらいを90かける120センチ、深さ40センチのケースで飼った。時々死んで秋から3匹とめだか1匹になり今も元気である。3匹がちょうどバランスがとれていると、ランチュウ(金魚)を飼う友人が言った。散歩で見る川には今年になり魚の姿がない、白鷺の餌になってしまったのかも。岸辺にも川面にも春の気配は全くない、春が待ちどうしい思いである。 | |
| 12-0002 | |
| ◆切腹 ◆ヒロミ ◆12年01月10日 10:03 | |
| 仲代達也の「切腹」を高校以来2度目を観た。今みてもその迫力はすばらしい。今朝の新聞中日春秋に、仲代達也は少年時代貧乏でコンプレックスの塊だったそうである。ひょんなことから俳優座の養成所の試験に行き試験官の前のパントマイムで膝が震え頭は真っ白、ペーパーテストは白紙で出したが20倍の競争率で合格した。演技は下手でも声が大きく背の高い男を選んだとあった。目をぎょろぎょろさせ陰気な男を選んだ試験官の目も確かなら無名の俳優「仲代達也」の目をみて「人間の条件」の主役に抜擢した監督もまた慧眼すばらしいと思う。ぼんぼん育ちの俳優では演じきれない魅力を感じる俳優である。私も少年時代の貧乏が共感を呼んで今まで魅力を感じていたのかもしれない。 | |
| 12-0001 | |
| ◆徹底検証日清・日露戦争 ◆とほる ◆12年01月07日 20:54 | |
| 「権威5人が白熱議論」とありますが、前に読んでとても読み続ける気がせず放り出しました。 半藤一利、原剛さんたちの論争なのですが、随所に「笑い」が出てきます。 笑いながら議論する課題なのでしょうか。だからT字戦法の解説も素直に読めませんでした。 司馬遼太郎氏はそれまでに分かっている資料で懸命に書いておられます。 司馬史観がすべてとは言いませんが、少なくとも笑いながら書かれてはいません。 随所にしゃれを言って笑いながら論争する、それがこの書の特徴なのでしょうか。 | |
| 11-0072 | |
| ◆路傍の碁石さん ◆カムイ ◆11年12月30日 19:45 | |
| その本は、読んでみたいと思います。 書店に購入注文します。 内容に ついての所見は読んでからのことですが、”時の旅人”の推理史学から、 今、考えている私見を述べさせていただきます。 ”皇国の興廃、この一戦にあり” 国運を担う提督が、勝算のない冒険を するとは思われない。 負けていたらという後年の危惧は持つべきでない。 戦うときは、成算を持って戦う。 勝利。 原因と結果には、必然の推移 がある。 司馬遼太郎さんは、あとがきで、日露戦争は勝算がなく、なすべきでない 戦争と書いています。 各処の僥倖が重なって幸せしたと。 ”時の旅人”はそうは思わない。 必然の結果であると。 何故ならば、勝ったから。 戦争は、戦力データが、勝ち難いと思えても、人の為すこと。 戦うもの の戦闘意識が著しく違えば、結果も異なるものとなる。 出来事の経過を推理する。 論理を尽くした推論は、コンピューターにも 劣らぬほどの精度をもつものと確信する。 私の史観です。 | |
| 11-0071 | |
| ◆カムイ様へ ◆路傍の碁石 ◆11年12月30日 15:09 | |
| 早速御返事いただき有難うございます。本の中身について多くを書くのはこれから読む人に失礼かもしれませんので一言だけ書かせていただきます。。この敵前大回頭 対バルチック艦隊作戦の最終版ではT字戦法は予定してなかったそうです。願ってもないような大勝利で結果オ−ライですが負ければ大敗着のそしりは免れない所ですね もし機会がありましたら感想などお願いします。どうもありがとうございました。 | |
| 11-0070 | |
| ◆路傍の碁石さん ◆カムイ ◆11年12月29日 19:17 | |
| ご紹介の本は、書店で見つけられませんでした。 港間に伝えられるのと、 視点が違う歴史ですね。 歴史は、唯一の真実が求められないこともあり ます。 伝えるものの視点が異なると、違う事実が伝えられる。 極端な 場合、勝者と敗者では、まるで違う歴史になることがあります。 作者は、史料を自分の読み方で受け取り小説を書きます。 脚色はしても、 史実から離れて行くことはない。 司馬遼太郎さんは、公刊戦史、参戦 将兵回顧録、従軍記者の記録を資料として、小説を書きました。 これを うそ事と言うことはできません。 カムイは、”時の旅人”、私のペンネームですが、タイムトラベラーを 自認しています。 過去へ旅をして、史実を見てくる。 本当は、史書の 記述に推理を加えるのですが。 私だけの史観です。 歴史は、後世になってからもつくられる。 新たに文献が見出されること もあって。 私は推理史学といっています。 自己催眠で、無意識になり、頭に浮かべる。 霊感をもつ巫女が、自己 記憶にないことを、神託として告げるように。 信じれば、事実となります。 史料を書くものも人であり主観がある。 信じる、信じないは、後世の ものの意識だから。 | |
| 11-0069 | |
| ◆カムイ様へ ◆路傍の碁石 ◆11年12月28日 22:09 | |
| あの番組私も見ました。残念ながら原作はまだ読んでいませんが 日本海軍が敵前で大回頭 いわゆるT字戦法で大勝利を得たことになっています。しかし最近出た徹底検証日清日露戦争(文春新書)によれば巷間伝えられてることと大分違うようです。この本によれば日本は戦後極秘戦史を3部作り 海軍軍令部 海軍大学校 明治天皇に配ったそうです。海軍の2冊は敗戦時に燃やされましたが皇室のものは残り 昭和天皇がなくなる直前に下賜されたそうで其れにより真実の日本海海戦が明らかになったとのこと 一度お読みになって感想など書いていただければ嬉しいですね 囲碁とは関係ない話で失礼しました。 | |
| 11-0068 | |
| ◆取舵いっぱい ◆カムイ ◆11年12月28日 17:50 | |
| ”坂の上の雲”最終回を見ていた。 海戦劈頭、”取舵いっぱい”、旗艦三笠は 左に艦首を向けた。 海戦史上、かってない敵前回頭である。 艦側を敵に さらし、集中砲火をあびた。 被害は大きいが、砲撃で巨艦は沈まない。 不沈 艦と言われる鉄の城は、魚雷で艦底に穴をあけられたとき沈む。 このとき、 日本海軍は、多数の水雷艇を用意していた。 小型の艦艇は多量の火器は運べ ないが、潜航して敵に近ずくことができれば、必殺の一撃がある。 海の忍者 なのだ。 はるばる印度洋を越えてきたバルチック艦隊は壊滅した。 沈み 行く艦上に、不敗を信じていたロシア提督の悲しい顔が演じられていた。 戦の勝敗は、戦力と戦略、戦術、戦場の状態が大きな要素となる。 いつも 同じ定石を打っていては、勝てないのだ。 この海戦は大きな意味をもつ。 大陸で関東軍は、奉天で、クロバトキンを を敗走させたが、戦力の消耗がはげしく、名ばかりの勝利であった。 戦後、 日本の国力が尽きたのを察する強気のロシア外交が、僅かな譲歩を見せたのは、 対馬沖の海戦の敗戦によるのである。 日本海軍の存在を、世界に認めさせた 一事であった。 また、太平洋戦争の敗戦の序曲であった。 極東での敗戦の責が、帝政ロシアを滅ぼす。 国内から革命の力が生じ、新た な国となる。 帝政ロシアは日本と戦ったが、日本の友となれる国であった が、新たな国、ソビエト連邦は、日本の友にはならぬ国であった。 国交を 学ばず、軍事の強化に注力する。 友愛、信義を重んじない施政者の姿勢が 我が国とは相容れない。 20世紀後半、軍事力、科学力は進んでいたが、世界へ向ける目は遅れて いたのではないだろうか。 極寒の領土は、二億の民を養うには、経済に 破綻が生じた。 国交は大事なのである。 注 物語は見る者の受けとり方によってかわる。 | |
| 11-0067 | |
| ◆さすらいの旅 ◆カムイ ◆11年12月22日 16:15 | |
| 抜け忍カムイは、刺客の追跡をしのぎながら、当てのない旅を続ける。 行く先々の村で、心暖まるエピソードを残しながら。 似たような 物語、デビットジャンセンの”逃亡者”キンブルには、いつか冤罪を 晴らすという目的があった。 その目的を達したとき、旅は終わった。 忍者カムイの目的は何であったのか。 人の窮極の目的は、”生きる” ことである。 今日を生き、明日を生きる。 命あってこそ何かが できる。 人との人情のふれあいも、生きていればこそ。 命を守ることが一番大事なのだ。 | |
| 11-0066 | |
| ◆世のため人のため、おせっかいは助け合い ◆ヒロミ ◆11年12月21日 15:15 | |
| 自分だけよければという個人主義の風潮がだんだん増してくるのは寂しいものです。自分さえという意識の強い人ほどおせっかいは焼かない。しかし自分にはおせっかいをやいてほしい人もいます。宮沢賢治「雨にも負けず・・」の逆です。「あそこの娘さんは気立てが良いがいい相手を見つける環境に無いから私が世話してあげよう」「あそこの子供は虐待されているかもしれない、何とかしてあげよう」「あそこは親が失業して食べるにも困っているようだから話を聞いてみよう、野菜とか米とか家で採れたからといって持っていってあげよう」などの人々がだんだん減ってきたのです。北海道など自然が厳しい所の人々ほど自分さえよければでは生きていけないのでおせっかいを焼きあいながら助け合ってきたのでしょう。山本周五郎の小説を役人や議員ほど読んで見習ってほしいものです。24の瞳の先生もおせっかい焼きだったのです。おせっかい焼きは「一灯照隅」世の宝です。私もみならいます。 | |
| 11-0065 | |
| ◆カムイ先生がんばって! ◆和一 ◆11年12月21日 08:03 | |
| カムイ先生が居なかった事を考える。 此処は無機質な真空地帯になるでしょう。 呼吸を必要としない、暗黒の、重力もない世界 音が無いわけですから‥静かでしょうね。 「人間カムイっ」がんばって! 「可愛くない皮肉屋」なんかに負けないでっ! 他は兎も角 「かわいい年寄り」になりたいね 老人ホームに行っても可愛がられるような人がいい | |
| 11-0064 | |
| ◆他人事 ◆カムイ ◆11年12月21日 12:42 | |
| ”あっしにはかかわりのねえことでござんす。” 木枯らし紋次郎の せりふである。 つま楊枝をくわえ、ニヒルな世渡りを考えるが、 人情からめば、ついかかわってしまう。 からっ風吹く上州、貧しい 農家は子を養うのが容易でない。 赤子を間引きする風調さえあった。 生まれたとき、間引きされる運命を姉に救われる。 不遇な生い立ち が、やくざ渡世に進ませるが、心は温かいものを持っている。 笹沢左保氏が書くキャラクター、演ずる中村敦夫さんは適役だった。 自分のことが精一杯なのに、カムイは、つい、他人事にもかかわって しまう。 お節介やきの旅のご隠居なのだ。 打ち継ぎ問題で不満に思う人がいれば、その肩を持つ。 何か納得いかないことがあれば、”あっしにはかかわりのねえこと。” にはできないのである。 | |
| 11-0063 | |
| ◆陸上競技 ◆カムイ ◆11年12月05日 18:34 | |
| 来年は、800m と1500m を走ってみようかと思っている。 マラソンは 走ったことがあるが、中距離は未経験。 全区フルパワーとなるから、苦しい レースと思う。 昔の記録を思い出していた。 昭和3年、アムステルダム のオリンピックで、日本女子の初のメダリストとなった、人見絹枝さんは、 800m で第二位となったが、ゴールしたとき、たおれてしまうほど頑張った と読んだことがある。 中距離は苛酷なレースだという印象が強かった。 人見さんは、きびしい練習を続けたためか、身体をこわし、3年後に亡く なっている。 | |
| 11-0062 | |
| ◆テニポンご存知ですか? ◆ヒロミ ◆11年11月28日 11:13 | |
| 半年ほど前から、ゴルフの友人に誘われてテニポンを始めた。月に3、4回やっている。テニスとピンポンを合わせたような競技でテニポンと名をつけ北海道様似(さまに)町で生涯スポーツとして誕生したそうである。体育館でバドミントンの広さのコートでテニスボールより大きなソフトの玉でテニスのように競技する。かなりハードで冬でもすぐに汗をかく。結構面白いスポーツである。 | |
| 11-0061 | |
| ◆陸上競技 ◆カムイ ◆11年11月27日 20:50 | |
| 北海道マスターズ陸上競技連盟の30周年記念式典に出席した。 84歳で、800m 、1500m 、と苦しい距離(中距離はスピード スプリントと、持久力を必要とするので、長距離より苦しい)を走る 人がいて、話をした。 聞いていると、私も挑戦してみたくなる。 少し走る込みをきつくして練習してみないと、走れるかどうかわから ないけれど。 | |
| 11-0060 | |
| ◆朝顔の縁組 ◆カムイ ◆11年11月04日 10:18 | |
| 枯れた朝顔を片付けていたら、種を分けて下さいと言う人がきた。 一握り、”芽をだしたら、無事に育てよ”と念じながら渡した。 この子たちは、よその土地へ行って、花を咲かせるだろう。 | |
| 11-0059 | |
| ◆南アフリカで柔道を指導した先生 ◆ヒロミ ◆11年11月02日 20:28 | |
| 醍醐先生から、「南アフリカで柔道指導できるのは君しかいない」と言われスワヒリ語をにわか勉強して家族の反対懇願を押し切り2年間指導に行った先輩がいた。スポーツ、ルールを知らず何十人も並んでいる軍の大男が投げられても投げられても向かってきて締め落とすしかなかったとか、靴が珍しいからと盗み、シャワーのための蛇口が珍しいので盗み、海岸で反乱軍の銃殺に立ち会ったり、原因不明の熱病に侵されたり、大変な苦労の末帰国、以来世界平和が口癖になり、心無き柔道仲間の冷笑をかったり、せんだみつおに傾注し書道と詩をたしなみ、酒に寂しさを紛らし、破天荒そのものと言われ、叩いてもどうしても死なないと言われながら、すい臓癌が発覚したあと、たった1ヶ月で亡き人となってしまった。命のはかなさをしみじみ感じた昔の飲み友達であった。 | |
| 11-0058 | |
| ◆柔道猛者たちの暴飲暴食の思い出 ◆ヒロミ ◆11年11月02日 18:51 | |
| 木村政彦が3升飲んだとか飯12杯とかを読んで昔を思い出した。全日本選手権出場の猛者たち、かしわのもも、骨は腸に刺さるから犬にやるなと聞いていたが人の食い残した骨を全部食べてしまった男、蟹を殻ごと食ってしまった男、キャバレーで20本もビールを飲んだ男、トンちゃん焼肉、生ごと食った男、ガラスコップをバリバリ食った男、いずれも異常が出なかった。体力という抵抗力が並はずれていると当時思ったものである。剣道家は無茶をしない、柔道は抑え込まれたり首を絞められたりするから、逃れるために反骨とか無茶をするとか聞いたことがある。しかし剣道も全日本に出る先輩の稽古台で面だけを数百発打たれて何日も頭がふらついたとかいう後輩もいた。いずれにせよ「黒帯を締めて武道の心知る」という言葉そのものかもしれない。きっとそうした男たちは、シベリア抑留でも死なない男たちだと思う。 | |
| 11-0057 | |
| ◆柔道の思い出・2 ◆カムイ ◆11年11月03日 22:00 | |
| 昭和20年代後期、柔道復活のときであった。 醍醐六段優勝の翌年、 夏井六段が優勝したとき、意外に思った人は少なくなかった。 東北の優勝、武徳会、高専柔道でなく、警察柔道である。 夏井さん の柔道が育ったのは、東北北海道対抗戦の活躍から始まる。 東北の 主将、夏井六段に道内選手は敵わなかった。 大会は交互に会場を もつ。 初めて見たときも強かったが、2年後にきたときは、一段と 腕を上げていた。 対抗戦は連敗を続け、地元の指導者、柳沢八段は、 選手強化を考えて、道内大会に講道館の指導者を招いたことがあった。 このとき、醍醐六段と大沢六段が來札したのである。 私が、学生の頃、講道館で見た大沢さんは、まだ学生であったかも 知れないが、業師の片鱗を見せていた。 軽量ながら、選手権戦で、 準決勝まで残ったこともあり、講道館の小天狗と言われるほどに 成長していた。 道内軽量級の選手の5人掛けを見事にこなした。 10分もたたぬ中に、5人の選手を次々と倒した。 後年、選手権戦 で優勝した竹内さんは、まだ高校生にもなっていなかったが、これを 見ていたのだと思う。 この大沢さんが、選手権戦で夏井六段を倒すかと期待した予想記事も あったが、軽量の悲しさで勝てなかった。 夏井さんの柔道は、組手をとったら、脇を固め相手の技を許さない。 仕掛けを待って返し技でとることが多かった。 今なら、指導を 取られそうだが、当時は通用した。 北の対抗戦では、無類の強さを見せていたが、それでも中央では、通用 しないだろうと思っていた。 それが優勝したのである。 年齢が、晩成型だったので、長くは活躍しなかった。 この後を担った、猪熊六段、神永六段は体格に恵まれなかった。 ヘーシング六段に敗れた神永六段は、一段下の階級から、無差別級 に動員され、気の毒であった。 得意技の左払い腰は通用しない。 何度 も試みたが、かえって不利になるばかりであった。 データから勝ち味がなければ、策を考えねばならない。 相手の支え釣り 込み足を腰を引いて守るのでなく、相手のふところまで身体をあずけて、 捨て身に、大内がりに行ったらどうであったか。 見ていたときの、私の 素人考えである。 昔、三船さんが、徳 三宝との試合で、小兵な身体を 相手のふところへ飛び込ましたと、読んだことがある。 最後は、力つきて、引き込まれ、吊り上げるようにして足払いに敗れた。 | |
| 11-0056 | |
| ◆ヒロミさん ◆カムイ ◆11年10月27日 09:33 | |
| 有難うございます。 そう、高師でしたね。 私も思い出しました。 拓大、武専とは違うスマートさがありました。 エッセー欄を会話に使って申し訳ない。 | |
| 11-0055 | |
| ◆カムイ様へ ◆ヒロミ ◆11年10月27日 09:23 | |
| 醍醐10段は東京高等師範学校卒業でした。武専と聞いたような覚えでしたが?私が小学生時代に全日本選手権で3回優勝された英雄で、昭和55年に初めて柔道着姿の先生にお会いしたときは紳士で温和な顔と話し方で少し驚きました。 | |
| 11-0054 | |
| ◆ヒロミさん ◆カムイ ◆11年10月27日 00:05 | |
| 醍醐さんは武専ですか、私は、早稲田だとばかり思っていた。 早稲田 出身の大沢六段(講道館の小天狗と言われた軽量級の第一人者)と 行動を共にすることが多かったので。 | |
| 11-0053 | |
| ◆醍醐先生 ◆ヒロミ ◆11年10月26日 19:48 | |
| 醍醐先生、武専出身の猛者にしてはやさしい温和な顔であり、現役時代の話を所望して30分くらい聞いたことがあった。先生の左手(引き手)は親指と人差し指の間が大きく裂けており開くと180度以上かと見え、すさまじい稽古をされた勲章かと当時思った。少年王者真吾(山岡そうじ?)いがぐりくん(柔道漫画)時代のヒーローだった。 | |
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| ◆カムイ様 ◆楓子 ◆11年10月26日 13:34 | |
| 昨日掲示板や長文メッセージがあることを仲間に教えていただき含蓄あるあなたの文章を読ませていただきました。また貴兄には囲碁では1勝7敗負けても勝っても囲碁そのものをエンジョイしています。さて貴兄のコメント柔道の思い出の文章を読みました。実は10月2日新潮社発売「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という新刊書、の内容によく似ていたのに驚きました。実はこの新刊書わたくしごとながら作者は我が愚息若し機会があったら目を通して見てください。 | |
| 11-0051 | |
| ◆柔道の思い出 ◆カムイ ◆11年11月10日 09:24 | |
| 木村政彦さんは、その全盛期無敵であった。 その師、牛島師範も 最強であったが、その頃はタイトル戦はなかった。 講道館主流 の人でなく、野の人であった。 華麗な業が称えられた時代、力の 柔道と言われた実戦派である。 力の柔道とは、力に頼るのでは なく、身体のバネ、ねばりが、相手の僅かなゆるみものがさず、 捕まえて離さない粘着力である。 木村さんもそれを受けついだ。 当時の柔道界では小兵の方だったが、体格で優る相手も勝てな かった。 打倒木村を目指す柔道家は多く、九州の吉松六段はその 一人であった。 木村さんに勝つ、それを宿願に、その修行は、 すざましかった。 全盛期を迎える。 木村さんとの戦いはなかった。 少し時代が違っていた。 木村さんは、前年、ベテラン、石川七段と 引き分けて、引退していた。 吉松さんは、木村さんのいない選手権 戦で優勝して、引退の花道とした。 この後、高師出身の講道館員、醍醐六段、東北秋田の警察官、夏井 六段の時代となる。 戦後の柔道界を盛り上げた。 この時代であれば、 ヘーシング六段に負けることはなかった。 この人たちが、一線を 引いた後、オリンピックの種目となった。 柔道界がやや低調になって いた。 大事な重量級をヘーシング六段が制した。 だが、ヘーシング はオランダの人でも、ヘーシングの柔道は、日本で育ったものである。 日本の武道が外国に敗れたと嘆くのは当たらない。 私は、柔道にあこがれながら、柔道を離れたが、心はいつも柔道界に おいていたのである。 | |
| 11-0050 | |
| ◆紙飛行機 ◆カムイ ◆11年10月21日 16:48 | |
| 広告紙を折って紙飛行機をつくってみた。 簡単にできるが、よく 飛ぶのである。 こうゆうものを、江戸時代につくったら、発明家 とされただろうか。 忍者は、袖を広げて飛ぶことを試みたと言う。 | |
| 11-0049 | |
| ◆忍者 ◆カムイ ◆11年10月18日 19:05 | |
| 体操競技の演技を見ていた。 ボデービル選手にも劣らぬ肩の 筋肉、高い跳躍、早い回転の身のこなし、忍者を想像した。 いずな落としをとくい業とする抜け忍、カムイ。 私は若い頃、忍者にあこがれたことがあった。 私の人物理想像の ように思った姿三四郎、の作者、富田常雄さんが書いた猿飛佐助で ある。 その超人的業にではなく、無欲、素朴で純真なキャラクター にである。 忍者の業、速歩の練習と思って、横浜から東京まで、 乗り物に乗らずに歩いたことが何回かあった。 その名残が、今でも ランニング、マラソンに入れ込む習慣である。 ハンドルネームは、他の理由で選んだのだが、サスケさんにも忍者 をイメージして、親しみを感じる。 | |
| 11-0048 | |
| ◆和一さん ◆和一 ◆11年10月13日 23:10 | |
| 和一さんは面白い話が大好き。 うっとうしい、屁理屈と 超長談義は大嫌いだと思います。 パッと一見しただけで頭がクラクラ してしまいますー 従って今までyoungさんの「論文」は見ていませんよ (実は読むと頭にくるような気がするし、内容も想定出来る チャンチャラ可笑しくって問題にしていませんので) だれかの言う喧嘩にはなりませんよっ。 大丈夫ですよっ。君達だけで仲良く勝手にやってちゅうだいっ! 私はだいじょうぶ 拍手合掌平伏 | |
| 11-0047 | |
| ◆カムイ様 ◆yone ◆11年10月13日 09:09 | |
| 承知しました。 | |
| 11-0046 | |
| ◆yoneさん ◆カムイ ◆11年10月13日 06:45 | |
| 貴方の言われることに誤りはありません。 ただ、和一さんと喧嘩を しないで下さい。 貴方は喧嘩と思わなくても、和一さんが喧嘩と 受け取れば、摩擦が生じます。 | |
| 11-0045 | |
| ◆カムイ様、ありがとうございます。 ◆yone ◆11年10月12日 16:05 | |
| 言葉の広場をなごやかにされたいとのご趣旨のカムイ様のお言葉に対しては、私は100%そのように思いますし、過去も含め、将来共にもそのように努力していく所存ですので、よろしくお願いいたします。前にも、私自身が掲示しましたように、今後、末長く囲碁倶楽部とお付き合いをしたいと考えています。ただ、和やかな雰囲気を醸造し、改善を望むあまり途中の段階で、多少、強い表現を使用する事もあったかと思いますので、その辺はご勘弁をお願いいたします。 カムイ様は、反論ではないとの前置きをされて、私の掲示に対して「議論がすべて論理を要素とするものとは言えません。もしそうならば、議会を構成する議員は、数学者、自然科学者か、少なくともその心得のある人ばかりでなければなりません。」とお話(仮定として)をされています。私の掲示の内容は、「物事の最終決定方法がこうあるべきだ。」ということを主張しているわけではありません。議論をする時の考え方、主張の方法、心構えを記したつもりです。最近、その理由も、説明もないまま、「こうあるべきだ。」との内容が掲示板に散見されますので、議論をする時の理論として古代ローマからいろいろな貴人、哲人、政治家が提案している思考方法を紹介しただけです。物事を考え、自分なりの意見を言う場合には、それなりの理由、傍証などが必要です。それらを、いろいろな角度から、たくさんの方々がたくさん述べられて、リーダーが、事務局が、議会が、そして国会などが、種々の状況を鑑み、当然妥協もして、多くの方に納得していただけるように、将来の姿、将来のあり方などを十二分に比較検討し、最終的にどうするかを決めるのだと思います。 最初の個々の意見を言う時に、自分があたかも組織全体のリーダーであるかの様に全体を見渡し、全ての方に受け入れやすいように考慮し、妥協した意見を言わねばならないとは思いません。その様にすると逆に、意見の論点がずれてしまい、いったい何を言っている意見なのかわからなくなってしまうと思います。意見を言う場合は、前に述べましたとおり古代から現代まで提唱されてきた「演繹法的説明」もしくは、「帰納法的説明」にて明確に推論、傍証、意見、結論を述べる必要があると思います。事務局、地方議会議員、国会議員など、適正に、そして代表者として付託された人は、種々意見、状況、そして妥協などあらゆる角度から鑑みて結論を出さねばならないと思います。 私は、囲碁倶楽部の代表者でも責任ある立場でもありません。従い、一会員として、最初から「妥協したらこういう意見になります。」などの立場では言っていません。「私の立場で考えたらこうなります。」と提案する事が多いのです。また、「起承転結を明確にして論拠を説明して欲しい。」とお願いすることが「論理で追い詰める。」ということにはならないと思っています。 カムイ様は、本倶楽部で最高位におられる大先輩で、全体を見渡してものを述べていただく立場なので、私などとは視点が違うのではないかと思っています。 一方、そんな堅苦しい考え方はやめて、好きなことを好きなように「友好、協調のみ」を考えた方が良いとの考え方もあると私は思っています。 | |
| 11-0044 | |
| ◆yoneさん ◆カムイ ◆11年10月11日 10:10 | |
| 貴方の言われることは論理です。 議論がすべて論理を要素とするもの とは言えません。 もしそうならば、議会を構成する議員は、数学者、 自然科学者か、少なくともその心得のある人ばかりでなければなりま せん。 人が話し合いで物事をきめる場合は妥協もあります。 私は、この文を、貴方に反論するために書いたのではありません。 あまり論理で追い詰めると人の和がなくなります。 言葉の広場をなご やかにして欲しい願いです。 | |
| 11-0043 | |
| ◆議論をするってどんなことなのでしょう ◆yone ◆11年10月10日 12:53 | |
| 意見を言う場合に、いろいろな仮定、いろいろな事象、事象から導いた推論の正しさなどを評価して結論を導くことになります。その結論は、「演繹法」で導いた結論と「帰納法」で導いた結論が一般的です。と言うより、三段論法的な「演繹法」以外は「帰納法」と言われますので、全ての思考法は、「演繹法」もしくは、「帰納法」のどちらかに分類されます。 「帰納法」は、経験に基づき結論を導きますので、より「人間的」な思考かもしれません。「帰納法」は、多くの事例を示し、推論の正しさの可能性を高める事に重点が置かれます。一方、演繹法は、仮定(推論)が正しければ、結論は正しくなりますので、いかに「推論」が、「真理」であるのかに、つまり、だれも否定のできない普遍的で妥当性のある法則や事実であるのかを示すのに重点が置かれます。 帰納法とは;おととい太陽は、東から昇った。昨日も、東から昇った。今朝も、東から昇った。従い、明日も東から昇るであろう。 演繹法とは;地球は上から見ると左回りで自転しているので、地球から見ると、太陽は東から昇っているように見える。明日までに地球の自転が止まることはない。従い、明日も東から昇るであろう。 同じ結論ですが、その思考的経過は全く違います。一見すると、「演繹法」の方が、より正確に意見(意見から導いた結論)を述べているように思えます。しかし、自然現象に当てはめた場合は、推論をなかなか普遍的真理として言えない場合が多いので、演繹法での説明は困難な場合が多いようです。よって、科学的研究の論文では、推論を示し、その後、できるだけ多くの実例を挙げて、統計学的、確率論的にその推論の正しさを説明し、結論とすることが多いのもそのためだと思います。いずれにせよ、物事の検討、議論をする時は、自分は「演繹法推論」で思考して、意見を述べるのか、「帰納法推論」で思考して、意見を述べるのかを前もって、自分なりに整理しておかないと、聞いている方は、いったい何を言いたいのかが判らなくなるでしょう。また、聞くほうは、相手が、「演繹法推論」で説得したいのか、「帰納法推論」で説得したいのかを判断した上で、相手の意見を考察したいものです。「演繹法推論」であった場合は、真理とされたものが事実にもとづいた普遍の事実(真理)であるのかどうか検証せねばならないし、「帰納法推論」での説明、説得をしている場合は、例示された事実が、推論の確証性を正しく言えるだけ多くの例示となっているかを検証せねばならないのです。ただ、「早すぎる一般化」として有名な、「水を飲むと酔う。」というのがあります。(参照:ウィキペディア)「酒には水が入っている。」、「ビールにも水が入っている。」、「ウィスキーにも水が入っている。」飲むと酔う液体の成分を分析すると水の成分が一番多い。従い「水を飲むと酔う。」ことになります。これが「帰納法」の欠点かもしれません。 「演繹的推論」及び「帰納的推論」以外の推論は、情緒的思考であり、文学の世界、哲学の世界に入り込んでしまうのです。その正しさを説明(証明)する必要は全くない自分が遊泳する世界になるのです。 と言うような、一見、面白くない理論を理論的に思考すると「老いた脳」の老化防止になるのではないかと思うのです。心臓疾患で「運動禁止」となった身体では、脳くらい老化しないように努めたいものと思う毎日です。 | |
| 11-0042 | |
| ◆反時計まわり ◆カムイ ◆11年10月08日 07:52 | |
| 左まわりを反時計まわりと言う。 人がグランドを左まわりに走ったのは、 時計が発明されるより前、古代オリンピア(前776)の頃からだと思う。 アテネは北半球、日は左から昇り、右に沈む。 人は日に向かって走った のか。 時計を発明した人は、針を右まわりにした。 針の(時の)動き を日と共に考えたのか。 また、右利きの人が、フリーハンドで円を書くとき、右まわりに書くのが 自然である。 | |
| 11-0041 | |
| ◆朝顔考 ◆カムイ ◆11年09月27日 11:15 | |
| 雑草に近い繁殖力を持ちながら、きれいな花を咲かせる朝顔は、もっと 世の中から愛されてよいと思う。 朝顔のつるは左巻き、日を求める 習性か。 ならば、南半球では右巻きになるだろうか。 グランドのトラックは反時計まわり、人は右利きの人が多いから、外側 を任せたのだろうか。 | |
| 11-0040 | |
| ◆朝顔の願い ◆カムイ ◆11年09月26日 07:39 | |
| 朝顔は今年の活動を終え、咲かせる花も数少なくなった。 片付けよう と思ったが、完成しない種を多数かかえて、もう少し待って欲しいと 言っている。 収集した種は来年使いきれない量だが、花を咲かせ種を つくる朝顔の努力に報いてやりたい。 自然界のものは皆我が友である。 | |
| 11-0039 | |
| ◆朝顔 ◆カムイ ◆11年09月13日 13:22 | |
| ”今年の夏は終わった。”と、朝顔が言っている。 春先に、こぼれ種から、庭に乱生した芽を間引きしたのが可愛そうで、 公園のすみにもっていって植えた。 多いときは、朝、200以上も 花を咲かせた。 朝顔は、夏には、次に咲かせるつぼみを、前日から 用意して待っている。 今は、花を咲かせるより種つくりに一所懸命 である。 | |
| 11-0038 | |
| ◆復棋 ◆カムイ ◆11年09月08日 19:09 | |
| しばらく夢中になっていたランニングが、シーズンオフになる。 来年 へのトレーニングは欠かさないが、レースがなくなるから、碁に帰って くる。 ペースダウンしていた対局数もこれから多くなる。 | |
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| ◆全米囲碁大会に参加して(3) 囲碁普及史の一断面 ◆喜撰山 ◆11年08月30日 21:29 | |
| 今回、私はクリス・キルシュナーという興味深い人物にあい、懇談する機会がありました。シアトル在住のもと大学教授(数学)で、子供のころから囲碁との縁が深い人です。米国囲碁協会の元会長でもあります。話を伺って、囲碁の普及史における奇縁とでもいうべきものに心を打たれました。 以下にあげる、三つの参考文献が、そのきっかけでした。 ビルチェック著(正岡徹訳)オーストリアの囲碁の歴史(囲碁梁山泊61号掲載) クリス・キルシュナー『シアトルにおける囲碁の普及と発展』(英文メモ) 福田正義『独逸の想い出』 以下は、メモ風の文章でかきます。 まず『オーストリアの囲碁の歴史』のはじまりの部分に、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド訪日の話がある。皇太子を乗せたオーストリア海軍の軍艦が、1892から93年にかけて日本を訪れる。この軍艦はそのご4回にわたって東洋に航海するが、その中に、囲碁の魅力に取りつかれた士官がいた。その名はアルツール・ヨナック、彼は軍艦で囲碁の学習をし、同僚や部下にも教えた。第一次大戦後オーストリア・ハンガリー帝国は解体し、海軍は新興のセルビア・クロアチア・スロベニア連合国家にひきわたされたとき、ヨナックはポーラ軍港の将校クラブでチェス盤を碁盤に代え、下士官たちに囲碁の勉強を強制したほどの碁キチだった・・・ビルチェックによると、『囲碁熱は伝染し、ポーラはヨーロッパの碁の中心地となった・・』 ところで、話変わって米国にはシアトル育ちのクリス・キルシュナーという碁キチがいる。米国囲碁協会の会長も務めたひとだ。彼は父フランツから碁を習ったのだが、このフランツは、姉とともに、オーストリア海軍士官だった父から囲碁を習ったという。クリスはポーラ軍港の囲碁グループ直系の孫弟子ということになる。 フランツ・キルシュナー一家は、1939年、ナチスの迫害をのがれて、ニューヨークに着く。クリスは、母親のおなかの中だった。米国到着後間もなく生まれた。ユダヤ人の互助組織の手配で、一家はシアトルに落ち着き、父フランツは庭師になって野菜や花を作り生計を立てる。(フランツは元医者だった)。つつましい生活の中で、一家は碁を楽しんだ。幼いクリスも父や叔母さんから囲碁を教わったという。 さらに、話は日本に飛ぶ。日本棋院の棋士福田正義6段は、かねて、囲碁を教えながら世界を漫遊することを夢見ていた。その機会が1939年に訪れたのだ。日本棋院は、かねてからの独逸側の強い希望に沿って、プロ棋士の欧州派遣を決定し、福田六段に白羽の矢を立てた。文部省の資金と大倉男爵の寄金でこれが実現する。半年のベルリン滞在が、さらに半年延長される。(文部省からの3000円の追加支給)。福田は1年にわたって、ヨーロッパ各地を訪問しながら、囲碁の普及・指導にこれつとめた。独逸ではフェリックス・デユバル博士らによって、囲碁熱が高く、福田六段の訪問は大歓迎を受けた。福田さんはウィーンも訪問しているから、オーストリア海軍士官ヨナックから始まったオーストリアの囲碁ファンの人々に接触があったに違いない。 シアトルの話にもどる。フランツ・キルシュナーは、ミズキという日系人が経営するナーサリーに野菜や花を届けていた。フランツが囲碁をたしなむことを知ったミズキさんは囲碁クラブを紹介する。フランツがクラブへ息子クリスを伴ってあらわれる。白人の親子が碁を打つことを知った人々は二人を歓迎する。それが1940年代の終わりころ、その時、フランツは9級、10歳のクリスは12級だったという。クラブの人々にかわいがられたクリスはみるみる上達する。3段の日本人に、9子を置いて負かされたクリスは碁の奥深さに、目を開く。 クリスは1958年ころ、ワシントン大学に入る。大学で 囲碁クラブを創設する。囲碁に関する一文を大学の新聞に載せる。それが、シアトルの新聞に転載される。クリスは数学を専攻する。 クリスは、現在72歳。米国囲碁界の長老である。岩本薫もと本因坊の厚意によって、シアトルに「日本囲碁センター」が設立されたとき、米国側を代表して協力したと聞いた。 −−以上、長くなりましたが、囲碁の国際普及の一断面として報告するしだいです。 | |
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| ◆全米囲碁大会に参加して(2) ◆喜撰山 ◆11年08月23日 17:44 | |
| カナダの天才少年にあう US Go Congressは1985年に始まり、すでに26年の歴史があります(今年は27回目)。主催団体はAGA(米国囲碁協会・会員2000名)です。西海岸、東海岸とで毎年交互に開かれるようですが、昨年は、コロラドスプリングで開催されました。 こうした大会に申し込み、登録する際に、段級位を『適正』に申告する必要があります。米国の会員は、AGAがコントロールしているレーティングに従っているから問題ありません。レーティングが、例えば、4.8だと4Dan、3.2だと3Danというわけです。 では日本人はどうするか? 日本の段位から二つほど差し引くのが「相場」だとききましたので、4Danで登録し、仮のレーティングを4.5としてもらいました、しかし、これが甘かった。 米国とヨーロッパとの間でも、レーティングに1ないし1.5Danの格差が生じているようです。これは、AGA会長のアブラムソン氏が認めていました。「レーティングのシステムは似たようなものだが、格差が生じているのは事実です」という。 私が、第4戦で対局した英国人のFrancis Roads氏は、「英国ではEGF(欧州囲碁連盟)のレーティングに従って3Danで打っているけど、ここ米国にくると4Danです・・・」そしてさらに「日本では5Danですかネ」といってニヤリと笑う。この人は、英国囲碁協会の会長を務めたこともあり、訪日経験も豊か、実際には日本で6段で楽なのだが、日本人の私に遠慮してそういっているのです。 日本の「段級位インフレ」は、囲碁の国際化の波の中で大いに問題、何とかしないといけないと思います。 さて、本題にもどって、日曜から始まった公式戦は、4日目の水曜日で中休みとなります。この日は、ロスの観光、ハリウッドめぐり、ワインツア、さらには、船に乗って沖合で大物釣りに挑むDeep-sea Fishingなどのイベントに参加できます。しかし、わき目も振らずに碁を打ちたい!というひとびとのために「ダイハード・トーナメント」が用意されています。45分持ちで、一日4局打つ、という日本の碁会方式です。 私も、こちらに参加しました。そこで、少年時代の秀策もこうだったかな、と思わせるような、カナダの天才少年(12歳)とうつ機会に恵まれました。打ち始めて30分の間に、こちらの大石を召し取られて碁が終わってしまいました。きけば、この子(オリバー・ウルフ君、名前もいい)は、今年のヨーロッパジュニア選手権で優勝したという。コングレスでは、こういう風に天才少年や古豪の大物に巡り合えるので、とても楽しかった。「負けて大いに楽し」という心境でした。 | |
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| ◆全米囲碁大会に参加して ◆喜撰山 ◆11年08月20日 02:23 | |
| US Go Congressが、カリフォルニアのサンタバーバラ(以下SB)で開催されるというので、出かけてきました。1985年から始まった大会で今年の参加者は400人ほど。カリフォルニア大学サンバーバラ校(略してUCSB)の学生寮にとまり、いろいろなトーナメントに参加したり、観戦したり、囲碁漬けの一週間を過ごすのです。 参加費は、食住費をひっくるめて1100ドル(今の円高だと、なんと9日間いて9万円に満たない)。 参加したトーナメントの最大のものは”USオープン”です。毎日1局(朝の9時からうちはじめる。持ち時間は2時間!)段位を申請するときに、この囲碁クラブでの段位から、2を引いて、4Danで登録しましたが、4日目が終わった時には、0−4という成績。 スイス方式で採点し、翌日の対戦相手が決まるので、連敗すると、次第に下位の人に当たるというわけで、最後の二日間に、やっと2勝をあげました。 4Dan以上の人たち90人は、Strong roomという別室で打ちます。この部屋で、眺め渡すと、中国から参加した9歳から15歳までの子供たちが目立ちました。父さんや母さんに付き添われて参加しているのです。9歳で4Danを打つちびちゃんから、15歳で7Dan、如何にもプロの卵、という少年もいました。 日本からの参加者は30人ほど、灘高校囲碁部のキャプテン二階堂くんが5Danで参加し、5−1の成績で5Dan中で2位の好成績をあげました。年配のわれわれは、ほとんどが負け越しでした。 SBは、朝晩の気温が20度を切る冷涼の地です。紺碧の青空が毎日つづき、日中は30度を超えますが、湿度が低いので、実にさわやかです。 マイケル・レドモンド九段はこのSBの出身で、少年だけのトーナメント、「レドモンドカップ」を設けて、少年たちを鍛えていました。 長くなるので、今日はここまで。いろいろな天才少年や、米国の囲碁界をひっぱってきた古豪の方々を次に紹介したいと思います。興味をお持ちの方は、インターネットで”US Go Congress"を検索してください。写真もいろいろと見られます | |
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| ◆孤高 ( 東京近在便り 六十六 ) ◆谷口 一 ◆11年08月02日 12:08 | |
| 「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」古川柳『柳多留』の一句。 六部は六十六部の略で、全国六十六ヵ所の霊場に『法華経』を納めながら、巡礼する行脚僧のことをいう。その始まりは定かではない。鎌倉時代とも室町とも。江戸時代にはとくに流行したようで、僧ばかりでなく一般の庶民にも広がった。鼠木綿の着物に手甲、脚絆姿で、背に笈を背負い、時に鉦や鈴などの鳴り物を鳴らし、家々で米や銭を乞いながら諸国を歩いたという。 この句の六部、里心がついたのか足をふるさとの方に向けたとみえる。そこを川柳子につかれたわけだ。“気の弱り”に六部の年恰好、孤高感がみえる。藤沢周平がエッセーのタイトルにこの句を使っている。 明治4年10月14日に明治政府は民間宗教禁止令を発令した。その中に、 「平民廻国修行の名義をもって、六十六部と称し、仲間を立ち寄り宿所を設置、米銭などの施物を乞い候義、今から一切禁止候義。」 この世から六部の姿は消えた。 長い稜線で単独行の登山者に行き合い、色褪せたザックを背負い遠ざかる後姿を見送るとき、ふと孤高の六部を思うことがある。単独行の登山者にはどこか修行僧の面影をある。 昭和の初期、単独行で登山界に名を馳せた加藤文太郎もそんな登山者だったのだろうか。 彼が昭和11年1月に槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難死したとき、新聞は「国宝的山の猛者、槍で遭難」と書いた。その経緯をモデルにした小説が新田次郎の『孤高の人』だ。この本を読んで、単独行にあこがれ山登りを目指した人も多いと思うが… ただ、本の内容と実際の加藤文太郎の遭難の経緯とは別物のようだ。小説だから当たり前かもしれないが、実際のモデルがある以上、不謹慎な扱いは実在した人を貶めることになる。この本では、加藤と同行し遭難死した吉田富久氏(小説では宮村健)がその謂れのない不当な役回りを担わされている。単独行者の加藤が宮村(吉田氏)とパーティを組まざるをえなくなったと書き、宮村(吉田氏)の所為で次第に遭難への引き込まれていくように設定されている。加藤文太郎の山行記録も新田にとって都合の良いように削除・書き換えられている。そのあたりは加藤が書いた『単独行』を読めばわかる。昭和44年に新田次郎のこの小説が刊行された時、吉田氏の家族はどんな思いだったろうか。ちょうど弔い上げの33回忌を過ぎて、新田は何食わぬ顔で『孤高の人』を出版した。この本は加藤文太郎をも貶めていると思う。 『国家の品格』を書いた藤原正彦の『日本人の誇り』が店頭に並んでいた。『国家の品格』に著者の言葉がある。「もっとも、いちばん身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです(後略)」と、何食わぬ顔で書いている。こういう責任感の無さは、父、新田次郎ゆずりであろうか。 六部禁止令が出た明治の始め、虚無僧も修験者も口寄せもいたこもすべて禁止になっている。昭和三十年代、虚無僧が実家の玄関先で尺八を吹いているのを見たことがある。禁止令もいつか反故になっていたのだろう。尺八の音が裏山の竹林に吸い込まれていくようだった。母はいくらかのお金を包んでいた。あれから半世紀がたつ。 国家も品格も誇りもとっくに死語になった。死語は寝かせておけばいい。起こしてはならない。国家・品格を言う者は、いつの時代も胡散臭い。ただ、孤高という言葉だけはどこかの山影にでも残っていて欲しいと思う。 | |
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| ◆ルールとマナー ◆コスミ ◆11年07月17日 10:41 | |
| 毎日掲示板など拝見し楽しませてもらっています。それにしてもよくもまアいろんな苦情やらトラブルやら起きるもんですな。 マナーにしても、逃げた、時間切れねらいだとお盛んなこってす。尤もわたしは一般対局室でしか打ちませんから、点数に血道を挙げている方(失礼)の気持ちはわかりませんが。 それにしても、皆さん書き込みはもう少し文章をわかりやすくねがいたいですな。言わんとすることがサッパリわからない場合が多い。いや私のような局外者には解らなくてもいいでしょうが、争っている当事者同志、あるいは事務局の方とも取り違いしてトンチンカンな返事、あさっての返答がしばしばみうけられます。二人が対面していたり電話でしたらスグに聞き質すことが出来ますが、コンピュータ−越しではそれがなかなかむずかしいので、舌足らずの言葉、激烈なフレーズだけが一人歩きしてしまいます。自分の立場(先手番か後手番か、盤面の状況)など、問題点の正確な情報を説明してから、自分の主張を述べたらいいとおもいます。 自分自身では状況がよくわかっているので、他人も解ると思って話す方が結構たくさん見受けられますね。一度書いた文章を、相手の立場で読み返してみたらいかがかと、お節介ながら申し添えます。(誤字、変換ミスにも気がつきますわな) かく申す私なぞ言い立てる不満などほとんどなく、毎回脳天気に打っています.二局続けて手が止まって退局した相手(故意かどうかは知らないけど)とは三局目以後はお断りするだけ。「時間ぎれねらい」には丁寧におつきあいするだけ。暴言を受ければアハハと笑うだけです。負ければもちろん悔しいし、勝てば嬉しいのは同じですがね。 不満といえば、いや大切なことを忘れていました。一つだけ御当局にお願いいたしたい。長期間(たとえば10年以上)の継続会員は是非会費を割引してもらいたいということです。どうぞ乏しい年金生活者のささやかな気持ちをお酌み取りいただきたく、ひらにお願い申し上げます。 さてルールとマナーという表題にかえりますと、わたしの気持ちではマナーはあまり言い立てないのもマナーじゃないかとも思っています。碁はゲームですからルール違反じゃないかぎり、気持を大きく持って楽しみましょう。といっても、心ないことばに憤慨擱く能わずのかた、当クラブを品格高いものにしようとの尊いお気持ちからのかた。人の思いはさまざまです。差し障りがありますから、マナーのことはこれ以上言いますまい。《先師いわく。礼といい礼という。玉帛をいわんや》 ところで、碁というものは世の中でもっともルールの少ない ボードゲームのひとつじゃないかと常々おもっています。なるほど日本棋院には色々細かな規定がありますが、それはプロ集団のための瑣末的なものがほとんどで、アマチュアのプレーヤー二人が碁ゲームをする上で本質的なものじゃない。 そこで先ずあらためて基礎的なものを考えて見ましょう。 1 タテヨコ19路の碁盤と、黒石と白石があり、お互いの陣地(石のないスキマ)の多寡を競う。 先手が黒を持つ。これはルールというより慣習といったほうがいい。お互い了解すれば白がさきに打ったって一向にかまわない。(往時中国では黒は尊い、白は卑しいということで、下手が白を持ったらしい) 2 対戦者が交互に石を線の交点に置く。交互に行うのはあらゆるゲームの基本であってルール以前の問題に思える。 3 相手の石の上、すきまのないところへは打てない。相手の石に囲まれれば自分の石が取り上げられる。これもごく自然の話。 4 縦横につながっている石は切れない、眼が2つあれば取られない。 すきまのないところへ打てない以上、これもおなじくあたりまえ。 5 一番碁らしいルールは「劫」の規定であろう、これも考えてみればコウ立てのルールがなければゲームは終わらないからやむ得ないきまりだ。 しかしコウになったら、すぐに取り返せないとは実によく思いついたものだ。碁を一層面白くしている。 6 あとは勝負の付け方、つまり陣地の数え方くらいのもの。(中国流と日本流ではチョット違うようだが) つまり碁ゲームのルールはほとんど必然的なものばかりで、むりやり作ったような不自然なルールはないといっていいでしょう。だから面白くて奥が深いといえるかもしれません。 この点ちょっとプリミティヴなスポーツ競技に似ています。 何よりも私は「すべての石は平等である」という点が気に入っています。 初めて碁石を持った人でも以上のことだけ知っていれば、まがりなりにも碁は打てます。石を持ったら自分の好きなところへ打ってください。1−1に打とうと天元に下ろそうと自由です。ルール違反ではありません。(以前そのような碁を打たれて憤慨していた御仁がおりましたが、実はわたしも一度打ってみたいな) * * * * ここまで考えているうち、ヒョッと思いついたことがあります。先ほど「対戦者が交互に打つ」といいましたが、待てよ、これも変えることが出来るんじゃないか、つまりお互いが2手づつ打ったらどうだろう。ゲームは成立するだろうか。もちろんこれはもう「碁」じゃありません。早速「石ならべ」画面でシュミレーションしてみましたら、意外となかなか面白い進行がみられました。 例えばお互いが切り違ったとき、2手目にアテを打っても、次の手番の方が逃げずに逆アタリにして続いて2手目に相手を取りきってしまえばいい。両アタリしても逆に取られてしまうことがある。シチョウアタリは成立しない。へたにハネると片端からトラれてしまう。などいろんな常識(定石)外のことが起きます。生死の構図もまるきり違ったものになる。だから新しい戦術も生まれるでしょう。 勝負がつくまで試す根気はありませんでしたが、なんとかゲームは成立しそうです。矛盾点がでたらそこだけ「特別ルール」をつくればいい。終局はどのようになるのだろう。一度物好きな方と打ってみたいね。2手碁ができるなら、3手碁、4手碁はどうかな。殺戮戦になるかもしれないぞ。 新ルールその2 死んだ相手の石は、自陣を詰めて完全に取りきらなければいけない。というのはどうだろう。初心者がよくやってるネ。例えば「活き」のないところへ1子打ち込むと、相手は3子か4子掛けて自地を埋める必要がある。ここまでくるとチョット馬鹿馬鹿しいか。 さらにエスカレートして「待った容認碁」はどうでっしゃろ。対局者AがBに待ったを要求する。その際自分の石を何目か提供するのだ。Bは状況を見てどっちがトクか考え、認めるか拒否をする。(ここは非常に判断力を要する)Aは拒否されたらさらに貢ぎ物を増やして交渉する。 「それじゃ、このくらいでどや」「承知でけまへんなあ」「ええい、もう三目張り込んだろ」「まあええとしよか」「あんたさんもごうつくやなあ」 これを称して「取引碁」あるいは「賄碁」と呼ぶ。判断を間違えると形成が容易に逆転します。 こんなバカな妄想を広げてゆくのは大変楽しい。つい暑さを忘れるほどです。(とはいってもクーラーを止めるとやっぱりアツイねえ) ずいぶん脱線してしまいましたが、ホントウをいうとこの駄文の後段が私のご披露したかったところです。ヒマつぶしに皆さんもいかが。 ヤ、これはまたこのサイトの品位を損じてしまったか。 | |
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| ◆脈拍 ◆カムイ ◆11年07月15日 18:52 | |
| 病のとき、脈拍を計って、体調をしらべる。 健康なときは、正常に鼓動する。 短距離のスタート、ゴールまで10数秒、私は、脈拍を数えて、その 時間の長さを頭に入れる。 | |
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| ◆鉄道模型 ◆鵜戸 ◆11年07月08日 11:20 | |
| 私は小さい頃から電車が好きで毎日通りの路面電車を見ていた。店のおばさんが坊ちゃん立って見ていては疲れるでしょうと椅子を出して呉れた。鉄道は好きだから現役の頃もJR東日本15000円乗り放題で三陸鉄道や五能線、只見線等乗りに行った。そのころも鉄道模型は好きでちょっとしたレールや車輌を買い走らせていたが何せ忙しいし家も狭いしレールを敷き放ししとく訳には行かないのでそのまま諦めていた。退職してからは時間も出来たし、子供も巣立って出ていったので部屋に余裕も出来たのでまた鉄道模型に凝り始めた。鉄道模型はご存じの方もいらっしゃるかも知れないがHOゲージとNゲージがあり、狭いマイホームの日本ではNゲージが主流になっている。しかしやはりHOゲージが魅力があるが何せ車輌が高過ぎ普通の人間には手が出ない。これを何とか易く手に入らないか考え自作してみよう、しかし金属やプラスチックでは無理なので紙で作れないか考え、阪急電鉄や京王電鉄を紙で作り走らせて見た。結構走るのでこれを自己満足で済ますのは勿体ないと考え、毎年夏東京ビッグサイトで開かれる鉄道模型コンベンションに駄目もとで応募したところ審査に通ったので今年8月19,20、21日に展示することになった。もし首都圏にお住まいで鉄道模型に興味のある方は是非お出かけ頂ければ幸甚です。鉄道模型が一堂に会しますから特にお孫さん等小さなお子さまは喜ぶと思います。開催まで1月強になったので準備が大変で碁の方がお留守になっている状態です。鉄道模型は最近ちょっとしたブームで秋葉原にも鉄道模型の専門店が結構増えた。車輌作り、さらにコントローラ等ちょっとした電気の知識も必要で昔はステレオアンプ等自作の趣味を持っている人が最近自作等却って高くつきろくなものは出来ないないのでアンプを自作する人等今やいない。この自作の情熱が鉄道模型に振り変わっているのではないかと思うこともある。私もその一人で昔ステレオアンプを作り音が鳴ったときの感動が忘れられず、森進一のおふくろさんのレコードを当時上京して来た両親に聞かせたら両親が涙を流したのをよく覚えている。自作の喜び今はそれを鉄道模型にぶつけている毎日である。 | |
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| ◆ランニングいろいろ・4 ◆カムイ ◆11年06月24日 13:54 | |
| 長距離を走っているとき、いろいろなことを考える。 楽しかった思い出、 エッセの文章、あの街角まで距離どのくらいか、歩数何歩で行けるかなど。 気持ちを楽にするのである。 短距離を走る短い間でも考える。 タイムではなく、歩数何歩でゴールか。 ランニングは、歩数で距離を知る。 | |
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| ◆尾瀬 ◆こいさん ◆11年06月19日 17:09 | |
| 40年前に川崎市に3年住んでいた頃。秋の深い頃と5月15日の尾瀬ハイク1号という季節臨時列車の二度尾瀬に行き、次は水芭蕉の最盛期にと思ったが、転職して大阪に帰ってそれ以後退職するまで水芭蕉の頃の尾瀬に行くのは不可能で、今年やっと念願を果たした。鳩待峠から入山、まず水芭蕉、その後リュウキンカ、ショウジョウバカマ、ミツバオウレン、オオバキスミレ、オオバタチツボスミレ、チングルマ、ヒメシャクナゲ、シラネアオイ、ニリンソウ、ムラサキヤシオ。40年ぶりに訪れた東電小屋、ずいぶん建て替えてきれいだが、ひょっとして東京電力こんな施設や土地を手放したら、今後どうなるんだろうと思う。木道の維持管理はとても大金が必要。木道の刻印を見ると最近の木道は環境庁の刻印のものもあるが、ほとんどは東京電力、又は古いものは刻印なし。 翌日は入笠山へ、そこでは大きなスズランの群生地を見に行くが、湿原にはマイズルソウ、ヤマシャクヤク、ズミ(コナシ)、オオアマドコロ、ウマノアシガタ、クリンソウ、釜無ホテイアツモリソウ、イカリソウ(淫羊霍)紫花と白花があった。どなたかがこの花の隠れた話を書いておられたが私にも効果があれば…。翌日は北八ヶ岳へ移動しサラサドウダン、レンゲツツジ、イワカガミなど、また白樺の林はとても神秘的だった。初夏は花にとって最高の季節ですね。実は帰ってから、撮ってきた写真を、訪れたところでもらったパンフレットや植物図鑑、さらにインターネット上の植物図鑑を照らしあわせるのに相当時間がかかった。季節と場所によって花の種類が多種多様、そこが日本のいい処だけど、おぼえても覚えても花の名前を忘れる。 | |
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| ◆ミラクル ◆カムイ ◆11年06月18日 21:49 | |
| 八子、九子の置碁にどうして勝てるのか不思議に思う。 打ちはじめに 勝つ自信は皆無に近い。 この人に勝ちをあげよう。 ただ、白の石が 全く立たないと言うことは避けよう。 だが、打ってる中に気持ちが変わる。 気に障る手を打たれる。 よい手 なのかも知れないが、好き勝ってなことをやられてたまるか。 と、どん なことをしても負かしたくなる。 正当でない手も含まれてくる。 相手 の気持ちを読むことに集中する。 自分勝手、虫のよい手は打たないよう に気をつける。 そうこうする中に相手がおかしくなってくる。 本来の この人の力がでなくなっている。 とんでもない悪手を打って負けて くれる。 とにかく、勝率6割以上、だが点数稼ぎのお客さんとは言え ない。 置き碁は、私は運まかせである。 | |
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| ◆連敗・連勝 ◆カムイ ◆11年06月14日 00:32 | |
| 七番勝負で、3連敗の後4連勝するのは、奇跡的逆転と言われるが、碁の タイトル戦でも、何回か起きている。 私の印象深いのは、昭和30年代の初め頃、日本シリーズの巨人・西鉄戦 である。 総合力が優ると予想された巨人は、初めから3連勝したが、 第4戦からもつれる。 後がない西鉄は、つねに全力投入、鉄腕稲尾の 4連投、それに答えて、中西、豊田、大下、関口のホームラン攻勢。 巨人は後一勝がとれない。 ついに最終、第7戦も落とした。 球史上に 伝わる大逆転である。 この敗戦は、川上監督に強い決意をさせた。 練習風景を公開せず、 ”てつのカーテン”と言われた秘密の特訓、巨人の黄金時代をつくる のである。 私は最近、5連敗の後7連勝、このように勝負が片寄るのは、コンディ ションと心理的なものが、連鎖反応するような気がする。 | |
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| ◆ラストランナー ◆カムイ ◆11年06月06日 23:52 | |
| オリンピックにただ一人参加した国のマラソン選手、大きく後れた ラストランナーとして、会場に入ってくる。 足取りも確かでなく、 よろよろしながらゴールに向かう。 会場からは、万雷の拍手。 私も、ラストランナーになってしまった。 10km の高齢者マラ ソン、途中、足に痙攣を起こし、大きく後退、リタイアも考えたが、 完走だけはしようと思いなおした。 一人大きく離れて走る。 タイムリミットには間に合いそう。 走行フォームを正して、ラスト スパートでゴールしたが、拍手はなかった。 今年は、ロングは一回だけと思っていたが、これでは引き下がれない。 秋にまた、挽回レースを試みる。 | |
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| ◆淫羊霍 ◆谷口 一 ◆11年05月24日 12:15 | |
| 中国では淫羊霍(いんようかく)。和名はイカリソウ。花の形が船の錨に似ているからだという。似てないこともないが、五月の山野に咲く可憐さからは、鉄の錨とはどうしても結びつかない。花は三cmほど、白もしくは紅紫色、山地の林下にやや下を向いて咲く。 秦の時代、四川省の北方の山麓に年老いた羊飼いが住んでいた。日当たりのよい石に腰を掛けて、目で羊を追う毎日だった。羊飼いには自慢の牡羊がいた。牡羊は一日に百頭の牝羊と交わっても平然としていた。ある日の午後、羊飼いは牡羊が一頭で山に入っていくのを目にとめた。行き迷うと大変だと、重い腰をあげ杖を頼りにあとを追った。牡羊は林下に入ると一群の草をむさぼるように食べ始めた。羊飼いは離れた場所から見ていたが、ハタと思うことがあった。牡羊が食べ終わり山から下りていくのを見届けると、牡羊のいた場所へいきその草を確かめてみた。一枚、二枚と口にしたのだ。青臭いだけで苦味のない草だった。ゆっくりと五枚食べたところで足先がほかほかするのを感じた。背筋が伸びるような感覚もしてきた。羊飼いは辺りを見回してからいそいそと山を下りた。途中、杖を忘れているのに気づいたが、取りに戻る気はおきなかった。羊飼いは毎日こっそりと山に入るようになった。ひと月も経った頃、羊飼いの白髪は黒々とした髪に生え変わった。羊飼いの体からは壮年のみなぎる活力を感じるまでになっていた。羊飼いは若い娘を迎えて、子をもうけた。一説では、秦の始皇帝が後宮に三千人の美女を侍らすことが出来たのは、羊飼いがあの草を献上したからといわれている。草は淫羊霍と名づけられた。日本のイカリソウはその仲間である。 一昨年の五月。山帰りの人で混雑する立川駅近くの居酒屋で初めてKさんに会った。あちらも一人、偶然カウンターで隣り合わせた。飲むほどに意気投合して、その日見つけたイカリソウの群落のことや、物知りぶって淫羊霍の話もした。六十を少し出たくらいのKさん、そのへんはさして興味もないとみえ、話は奥多摩や丹沢、秩父の山々に移っていった。ほとんどこちらがしゃべって、Kさんは聞き上手だった。その日の山行ルートも話したようだ。 そして昨年のやはり五月、高尾山から景信山、陣馬山と歩き、中央線藤野駅に辿り着いたところで、一年ぶりにKさんを見た。Kさんは駅のベンチに腰を掛けて、年の差のある女性と親密に話し込んでおられた。ときどき膝に抱えたザックに目を落としながら。ザックは嵩があるわりに軽そうにみえた。一年前に立川の居酒屋で隣同士だったというと、あっ!という顔をされ、ザックを下に置かれた。長い歩行で疲れていたし、先方には同伴者がいることもあり、ぜひまた立川でと言い残し先に改札をぬけ渡線橋を渡りホームに出た。 そして今年またこの時期に、裏高尾の登山道からそれた沢筋でKさんを見た。一般の登山者が入り込むような所ではない。イカリソウの群落地だ。何か動物の気配を感じてブナの大木に身を寄せ、眼下の斜面を見ると、かがみこむ動作を一心に繰り返すKさんがいた。斜面にはチゴユリの小さな白い花が点々と咲いている。後ずさりするようにその場を離れた。Kさんはあの女性とうまくいっているようだ。 そういえばイカリソウで作った仙霊脾酒もまる二年が経つ、もう飲み頃だろう。 | |
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| ◆映画「岳」を見て ◆こいさん ◆11年05月23日 00:19 | |
| テレビでの毎日の宣伝と、封切り前に小栗旬、長澤まさみが宣伝のためいろんな番組に出演していたので封切られてすぐに見に行った。「そんな馬鹿な」という場面がいっぱいで、ちょっといらっとするところもあったが、原作が漫画だから仕方ないかな。 それで帰宅後、以前に見た「剣岳、点の記」の劇場で買った冊子を見なおしたくなった、今更ながらに映像の美しさ、巧みなカメラワークを思い出す。ウィークデーの昼下がりで観客は還暦付近の人たちばかり、私はというと自分が八ツ峰から登った時、長次郎尾根から登った時の35mの懸垂下降を思い出し、長次郎谷や平蔵谷をグリセードで下った経験を重ね合わせて、映画の途中から感動で涙が止まらず。映画が終わってエンドタイトルがスクロール始めても誰も席を立たず余韻を楽しんでいて、それは滅多にないことで、バックに流れている音楽も素晴らしく、原作者の新田次郎も生きていれば映画の出来を喜んだろうと思った。 | |
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| ◆ランニングいろいろ・3 ◆カムイ ◆11年05月20日 13:34 | |
| 長距離の練習は、早く走ることよりも、イーブンペースで楽に走る ことを心掛ける。 それにフォームをよくすることである。 実績 が得られなくとも、魅力ある走りをしたい。 見ていて気持ちの よいもの、一流選手の走行フォーム、サラブレットのホームスト レッチ、離陸寸前滑走路を急加速する航空機。 ランニングと碁とどちらが好きかと聞かれると、答えに困るが、碁 のほうが、目標が遠いので、後々まで付き合うと思う。 しばらくはランニング気狂いだが。 | |
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| ◆続資材盛衰記 ◆カムイ ◆11年05月19日 10:21 | |
| 紙は、前100年頃開発された。 植物繊維から衣類(布)をつくることは 古くから行われていたが、それに文字を書くことは少なかった。 木・竹を 薄く削って短冊とした木簡・竹簡が記録台であった。 木を削るのではなく、 変質させて、漉きなおす紙が発明されても、すぐには普及しなかった。 材質がまだ粗悪で使い物にならないと言うのではない。 産業界の構図で ある。 木簡・竹簡の製造を業とする多くの人が失業せぬように抵抗された のである。 紙の普及は100年後になる。 後漢の時代、政治体系の確立 のため、律令の記録に紙が使われた。 政府の率先は民間に波及する。 製紙が産業として栄える。 我が国では、日本書紀に、推古天皇の御世に、紙・墨をつくりとあり、中国 より幾世紀も後れるが、他からとり入れたものを改良して、元のもの以上に する才能は、この頃から、大和民族の特質であったらしい。 平安の時代に、 和紙の技術は中国以上であったようだ。 紙は書台だけでなく、包装にも 使われた。 近代になり、重要な役割を担うことになる。 人の信用を 証するもの、さらに、通貨となるのである。 社会を動かすもの。 紙は まさに資材の女王となったのである。 現代では、紙の地位を脅かすものも現れはじめている。 包装はビニール が使われ、膨大な印刷物は、小さなピースの磁気カードとなる。 通貨の 役は、目に見えない敵、電子である。 財の意識の移動だけで、通貨の やりとりの代わりとなる。 プラスチック、合成物と電子の働きの進出は、従来の資材をいろいろな 場で変えていく。 七寸のかや盤の上に、日向蛤と那智石で打った碁は昔、今の石は合成物 が9割以上。 さらに、盤・石を使わず、パソコンのディスプレーに 局面を写し出して、碁をプレー(打つとは言えないから)する、通信碁 は遠隔の人とも対局できる。 自然の資材と、人の頭脳がつくり出すものとの戦いである。 | |
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| ◆資材盛衰記 ◆カムイ ◆11年05月18日 14:49 | |
| 韓国ドラマを見ていた。 高句麗建国の頃のドラマでは、鋼鉄の武器をつくる ことが、戦いの趨勢をきめる。 鉄の製錬技術が進んだ時代を語っていた。 現代の社会で使われる資材は、鉄と紙が双璧である。 今から少し前、中国 オリンピックの前に、鋼材の値が急騰したときがあった。 中国の鉄の需要が 増大した。 私は軍事増強にも使うのではないかと心配したが。 世の中で鉄が使われる量は莫大である。 地球がもつ金属元素では、鉄が 最多量のように思う。 鉄は、土器・石器・青銅器の時代の後に登場した。 数1000年も昔のこと である。 それまでは、地下に眠っていたのであろうか。 鋳造しやすい青銅が、 人の生活に金属が使われるようになる初めであった。 やがて、青銅より硬度 をもつ鉄が使われる時代になる。 常温固体の金属が、高温で溶けることを 知ったのは人間の知恵である。 鉄は武器として使われることから始まる。 闘争は社会秩序をつくり、野生の 生活からの進歩となる。 狩猟や農機具にも使われた。 まだ、木材には及ば なかった。 木(植物)は、動物と共存する生命体である。 地上に現れた 最初の生命体は、植物の方が先であると思う。 植物は大地から離れて生きれ ない。 やがて、大地から離れて生きる生命体(動物)が発生する。 あるい は植物からの進化か。 動物は植物から生命源を得なくては生きれない。 動物の寿命は短いが、植物は1000年以上生きるものもある。 木を倒して、木材として使うことは、土器・石器時代より前から行われた。 木の命を絶っても、種族が滅びないだけの繁殖力があった。 近世になってから、鉄の役割が拡大した。 輸送に使われる。 鉄道・巨大な 船舶・自動車など。 建築にも使われる。 特質はその硬度にある。 鉄は、 人間社会で資材の王となった。 弱点は酸化しやすいことで、油・塗料でそれ を防ぐ。 硬度で代用できるもの、ポリカーボネイトのような合成物も現れて きたが、まだ当分は、鉄の王座は揺るがない。 ”to be continue." | |
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| ◆運 ◆カムイ ◆11年05月09日 15:51 | |
| 諸国を流浪した伊勢新九郎が、戦国上期一の武将となるのは、当時 人の寿命と考えられた50歳を過ぎてからである。 87歳の長命 を保ち、後半が台頭のときであった。 時が人に与える運は、若き 日の北条早雲自身も思わなかったものであろう。 年齢と人の行動は、限界をつくるべきでない。 | |
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| ◆風林火山 ◆カムイ ◆11年05月08日 11:44 | |
| 疾きこと風の如く、徐かなること林の如く 侵掠すること火の如く、動かざること林の如し 甲斐武田が、戦国を風靡した戦略旗標である。 だが、信玄は 天下をとれなかった。 時が、人に、その運を与えなかった のである。 優れた実力をもちながら、タイトルに縁遠い人は、運を待たねば ならないのであろう。 | |
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| ◆静と動 ◆カムイ ◆11年05月07日 12:54 | |
| 長距離ランナーの私が、短距離に挑戦するのは、長距離に疲れた からではない。 長距離の持久力は、静かに速度を保つことが、 極意らしく、短距離の瞬発力は、力をこめて、と、私が感じた ことである。 碁の持久力は、故意に手をつくるのではなく、自然な運びの中に、 よい流れをつくって行くことで、戦いの瞬発力は、ヨミの労力を 惜しまないことと、心にきざむ。 | |
| 11-0017 | |
| ◆ランニングと碁 ◆カムイ ◆11年05月02日 18:49 | |
| 長距離走は持久力が大事だが、短距離は瞬発力を必要とする。 筋肉の 使い方が違うのがわかる。 碁は長距離レースだが、瞬発力が必要なときもある。 碁の持久力は、 ゆっくりした局面を、広い視野で見て、先行きを考えて行くことだが、 戦いが熾烈になったとき、徹底したヨミが瞬発力である。 | |
| 11-0016 | |
| ◆ランニングいろいろ・2 ◆カムイ ◆11年04月23日 09:12 | |
| 3m の強風、追い風に乗って飛ぶように走る。 ピッチを少なくしても、 ストライドを伸ばした方が有効。 一流選手に近い速度を維持する。 だが帰りは辛かった。 進まない。 ピッチ走法に切りかえる。 女子 選手が疲れたときにやることがある、いやいや走法でも、ある程度の 速度が保てる。 風をまともに受けて息が苦しい。 下を向いて走る。 地面が、どんどん向こうから近づいてくるように見えて励まされる。 追い風、向かい風、トータルして、ノルマルなときより、タイムは 大分落ちる。 | |
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| ◆友人は「長歌」を詠んだ ◆喜撰山 ◆11年04月02日 16:36 | |
| 大地震のあと、1週間ほどたって、東北出身の友人(ペンネーム大和左彦)が、「長歌」を詠んで送ってきた。「謹んでお見舞い申し上げます」式のことばより、胸を打つものがあるので、以下、紹介させていただく。 日の本の東なゐふる 大和左彦 なゐふりて、またなゐふりて、海登り、山沈みけり 津の舟も 丘へはなたれ 民が屋も ここだくだけつ 宮柱 田のもに倒る 活きる糧 すくなすくなと 諸人の苦しみをるに 福島のまがつ火の神 まがまがし まがつ火をたき 息がての 息断たんとす (中略) 大和児よ ああ大和児よ 山彦の海乙女憂ひ 海彦の山乙女憂ひ 山乙女 海彦を泣き 海乙女 山彦を泣く 時しかも望み待ちける 日の御子の 日嗣の御子の 胸内ゆ 地の湯のごとく 湧き出る お言葉のあり、 今津御代 国生みの朝 大八嶋 吾左彦 秋津嶋 君右え彦 新しき 大和島根を つき固めむや 反歌 神代より 続く大和を 右左 こと上げしつつ 善き国とせむ | |
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| ◆五次元空間 ◆カムイ ◆11年03月30日 14:34 | |
| 人が、そのとき、その場、にいるのは、五次元(立体空間と時と人)の 座標の一点である。 一瞬の中に移動する。 何かをするのは、その 移動空間の一部である。 私は、今、ランニングに思いをもち、ある距離 を短い時間で走る空間をつくる努力をする。 そのために、何百回も試行 を繰り返す。 結果、望みが叶わぬとも、努力した試行空間が、過去へ 旅立てばよしとする。 | |
| 11-0013 | |
| ◆思 ◆コスミ ◆11年03月28日 12:09 | |
| なゐふるくににむまれじや おほなみこそはのがれまじ ほとけのみよのすぎてのち ひとのなさけのうれしきは あめのひをぬすみてより ぜうすはいかりたまひて きゅくろぷすたけりくるひ ぷろめてうすのなやみふかし さはあれど うしとらのたみはたくましく そのたづきはからくとも いくるべし われらとともに いくとしやまじ | |
| 11-0012 | |
| ◆ランニングいろいろ ◆カムイ ◆11年03月19日 09:59 | |
| ロングディスタンス、長距離を時間をかけてゆっくり走る。 耐久力の 蓄積と体調を整えるため。 5月までに5kg 減らしたい。 5キロ軽く なれば、10km のレースで5分違う。 レースは競うから、苦しいこともあるが、10km くらいなら、あまり 負担に感じることはない。 先ず、5月の10km のレース。 今年は、 短距離を目指しているので、ロングはこの1回だけと思っている。 | |
| 11-0011 | |
| ◆陸上競技・3 ◆カムイ ◆11年03月15日 01:19 | |
| 走る跳ぶ 大地と人を 結ぶ縁 誰も、グランドを駆けた経験をもつ。 人が能力を表現する姿は美しい。 今年は、マスターズ陸上競技に登録して、短距離を走る。 4月よりシーズンが始まる。 | |
| 11-0010 | |
| ◆地震 ◆カムイ ◆11年03月13日 20:50 | |
| 地震、雷、火事、親父、怖いものの代表に言われた。 私が子供の頃、この中でも、地震が一番怖いと思っていた。 人力で 避けられない。 小学校で、地震の避難訓練が行われた。 関東大震災 から、10数年経った頃で、地震が怖いのは、私だけではなかったよう である。 座布団を頭に机の間に伏せる。 天井が落ちてきたら、これ で防げるのか。 災害は忘れた頃にやってくる。 長い人生を生きる間、地震に会わず、 その恐ろしさも薄れてきていた。 つい先日、ニュージーランドの地震 のときも、他山の石とまでは、考えてもみなかった。 この度の東日本 大地震は青天の霹靂、生命を落とした人、多くの人が家を失い、学校の 講堂で過ごす姿がテレビに映され、昔、横浜大空襲のとき、焼け出され、 学校の講堂で過ごしたことを思い出していた。 大地震は2次災害も起こり、恐ろしい。 この不運からも、人々は立ち直る世の中が、これから始まるのである。 | |
| 11-0009 | |
| ◆ランニングの思い出 ◆カムイ ◆11年02月27日 20:32 | |
| 20数年前、数学科の忘年旅行会で洞爺湖サンパレス温泉に泊まったとき、 洞爺湖を一周してみようと思った。 フルマラソンと同じ距離があるという。 夜中、2時頃に起き出して、出発した。 冬なので、やや重装備だが、シュー ズは軽スニーカー、4時間で帰ってこれるか。 固められた雪道は、舗装路 より走りやすい。 時々、後ろからライトの光、走行車が過ぎる。 少しの 間、追いすがってダッシュする。 すぐ見えなくなる。 夜の車は速い。 50歳代半ばを過ぎていたが、私はスタミナがあった。 ダッシュの後も、 持久走の中で呼吸調整ができた。 10km くらい走って、水が欲しかった が、用意はない。 もう10km 、向洞爺まで行けばボックスがある。 中島を見ながら走る。 走馬灯のよう。 こちらがまわっているのだが、景色 が逆方向にまわっているように見える。 向洞爺で給水。 再び走る。 中島を見て、家族で来たことを思い出しながら。 中島までボートで行こう。 長女と三女を乗せ、私が漕いだ。 近くに見えた 島は、意外と遠く、漕ぐほど向こうへ逃げて行く。 8km くらいあるので あった。 やっと着いた。 島で一休みする間もなく、帰途につく。 私も さすがに疲れた。 ”お姉ちゃん、代わってくれ”と長女にオールを預けた。 出発した岸より大きく西へ流されている。 この頃、岸では、長時間帰らぬ ボートに遭難さわぎが起こっていた。 妻が心配したのである。 流された方向を変えようと、再び私がオールを握った。 モーターボートが きた。 遭難救助の捜索である。 人さわがせな観光客、関係者に謝って、 距離目測を誤ったことを反省した。 走行中、別なことを考えていると、走る苦しさを忘れる。 こんなことを 考えるのは、私だけだろうか。 夜が明けてきた。 温泉市街が見える月浦、 後3km 。 どうやら4時間で帰って来た。 温泉につかって、疲れもとれた。 今年、また競技に参加しようと思っている中に、思い出が帰ってきたのである。 | |
| 11-0008 | |
| ◆クロックマン ◆カムイ ◆11年02月26日 11:03 | |
| アイ・アム、よくしゃべる時計。 TAKARK TOMYで製作の玩具 である。 置いておくだけで、時間をおいて、いろいろなことをしゃべる。 言葉の小ロボットみたいである。 私の次女(医師を勤める)は、50歳近いが、独身でマンション暮らし。 自宅にいるときは、言葉を話すことも聞くこともない。 マシンのおしゃ べりでも、気持ちを和らげてくれる。 | |
| 11-0007 | |
| ◆棋譜の宝庫を「発見」!! ◆喜撰山 ◆11年02月13日 23:19 | |
| 最近、囲碁の棋譜の世界最大のコレクションが無料で見られる情報源を発見した。古今東西のプロ棋士(だけでなく有力なアマ棋士)の棋譜が集められ整理されたものである。 日本、中国、韓国、台湾、その他と国別に分かれており、日本の場合だと、江戸時代の古典碁から、現代のプロ棋士の打ち碁が納められている。しかも、たとえば、結城聡の打ち碁を選ぶと、対戦相手別にきちんと整理分類されているのだ。 私は、囲碁データベース社の「江戸、明治期の古典碁全集4千数百局の打ち碁集のCDを、\6000で手に入れて自慢していたが、このたび「発見」した打ち碁集は、くらべものにならない。 整理してくれているのは、台湾の篤志家、または台湾棋院関係の組織であるとおもわれる。 ”Web2Go”をキーワードとして入力すると、すぐに見ることができる。 私の「発見」はおそまきのもので、知っている人は黙って活用しているのかもしれない。棋譜をならべてみるだけなら無料だが、ダウンロードするには料金がいるらしい。台湾の古典中国語で書かれているので、私にはその辺の事情はよくわからない。 分かっている方がおられたら教えていただきたい。 | |
| 11-0006 | |
| ◆雪まつり ◆カムイ ◆11年02月08日 14:00 | |
| 札幌で雪まつりが開幕になった。 雪像の規模、数は、雪の行事としては、 世界最大のものである。 62年の歴史があり、海外からも製作の参加が ある。 冬の観光として一見の価値がある。 | |
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| ◆相撲 ◆カムイ ◆11年02月08日 11:26 | |
| 春場所が中止になった。 八百長事件のため残念なことである。 相撲を 愛好する人は多い。 私が子供の頃、相撲と徒競走が、仲間の序列を決めることであった。 相撲の強い者が番長になる。 双葉山の全盛期の頃から、相撲の人気は高まっていた。 戦後間もなくの 頃、国技館修築のため、本場所が中止になったことがあったが、以来 65年間、場所数が多くなっても、中止になった場所はなかった。 私は、高体連相撲専門部の委員をしていたことがあり、大の相撲愛好者で ある。 自分でも、高校生相手に相撲をとった。 アマチュア相撲4段の 免状ももっている。 | |